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「支那そば」@支那そばの店 漢口の写真2012年3月9日訪問
この店を訪問するのは実に10年振りでしょうか?ここのところ多くのラーメン店を訪問しておりますが、うまいラーメンは数多く存在していますが、ラーメン屋という少し隠微な響きといいますか、ラーメン屋という言葉の響きがもつどことなく後ろめたいような感覚、蠱惑的な要素がかけている様に思えます。高カロリー、高塩濃度、一般的にあは食の悪とされる要素がラーメンの魅力の大勢を占めるところではないかと愚考する次第です。その蠱惑的な雰囲気が前面に押し出されたものが二郎系の人気であったりするのではないでしょうか?二郎の行列の向こうには魅惑のハイカロリーの蠱惑世界がひろがる。それがラーメン屋の持つ雰囲気ではないでしょうか?
今日レビューする「漢口」は店の雰囲気自体がすでに蠱惑の塊なのです。岡山の夜に怪しく光るピンクの看板「奥座敷」を東に50m程歩いたところに、強烈な赤と黄色の看板で「漢口」と光る小さな古い店舗が見えてきます。大方このあたりで会社の同僚や、まして女房にでも会おうものなら間違いなくソープ訪問と間違えられる一角にあります。
かように3月9日の小生も「奥座敷」のピンクの看板を眺めながら、後ろ髪を引かれることはないにしても、内心ソワソワしながら足早にピンクの看板を通り過ぎます。写真に示す赤い提灯と黄色+赤の漢口の看板が目に入ってきます。古くきしんだドアをゆっくりと開けます。このドアを開ける瞬間も奥には出勤前のあやしい光りを放つ嬢が座っているのではないか、もぐろ腹蔵のような怪しい親爺がいるのではないかと不安混じりの期待がこみ上げてきます。(これがラーメン屋のもつ怪しい雰囲気の一つなのです)先客は3名、3人ともラーメンはいただいていません。焼酎のお湯割りを片手にイカやらほうれん草をつまんでいます。この昭和な雰囲気、かわっていない。親爺の耳が遠くなっているのを別にすれば。
さて、本来はつまみと焼酎などをいただいた締めにラーメンというのが常套なのでしょうが、本題のラーメンに移らなくてはなりません。ラーメン、チャーシュウ麺などからのオーダーが可能なのですが、本日は親爺さんが勝手に「ラーメンつくるりょぉるけぇ」といいだして「おえなんだ、ラーメンにしょぉるでぇ」というものですから断れませんでした。隣に座った焼酎のおっさんもそうですが、激しい岡山弁で、多分岡山県民以外は理解できないくらい訛っています。これほど激しい岡山弁が聞けるのももの界隈だけでしょう。貴重です。


運んでこられた丼はきわめて透明度の高い茶色のスープ、ストレートの麺、トッピングはチャーシュウ(脂の多いタイプ)6枚、細いシナチク8本、刻みネギ。まったく飾り気のないラーメン。これが驚愕の完成度。スープは醤油で鶏ガラと野菜だけでシンプルに仕上げられたもので化学調味料の量も入っていないか極端に抑えられています。感じられる範囲に不自然な印象が全くありません。虚心坦懐というか嘘無の世界で味わう、水墨画のような、といえば表現できるのか?近年のラーメンブームで、テクニック全盛のこの時代にきわめて少ない具材でつくられたシンプルな味。多分、親爺に聞いても「簡単なもんじゃけぇ、混ぜてにゅぅるだけじゃ」と言うだけなのでしょうが、塩のバランス、醤油のバランス、いつ食ってもかわらないし絶妙の塩梅。麺は少し甘く感じられるが、この甘さがスープのシンプルさをカバーして味の変化ができあがっています。そしてチャーシュー。かなり脂くさいものなのですが、これがシンプルなスープに大きなインパクトを与えて一気に脂ののった蠱惑的な薫りを付け足してくれます。
このタイプのラーメンは、昔は岡山にたくさんありましたが、ここまで完成度の高いものには巡り会わなかったし、ラーメンブームで派手な盛りが競合している時代にこのシンプルさは逆行するものではあります。しかし、古典のラーメンがいかなるものか、そしていかにあるべきものかという道標を示しているような店です。かつては洋食屋であった親爺がいろんな問題に直面して、一人で開業するためにラーメンに転身したというエピソードからも、この親爺ただ者ではないと思わせるところがあります。耳が遠くなって、さらに懐が深くなったような気がしました。間違いなく岡山ラーメンの残された最高峰といった感じの一杯。グレート!

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