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「広東風海鮮湯麺(1,000円)」@荟華源の写真♪あの地平線 輝くのは
何処かに君を 隠しているから
たくさんの灯(ひ)が 懐かしいのは
あのどれかに 君がいるから・・・

 メガバンクの前に置かれているグランドピアノ。ストリートピアノであるが、天空の城ラピュタのメインテーマ・君がいるから を若い男性が弾いていた。ボクは、そのメロディを軽く口ずさみながら南京町を目指していたのだが・・・

 まったく以って、信じられない光景が目の前に広がっていた。客が減っているということはニュースで聞いていたが、まさかこれほどとは・・・・それは兵庫県内にまだ’まん延防止等重点措置(まん防)’が取られている中(注)であったのだけれど。
 

 ・・・今回の話は尼崎・大貫から続くもので、淺草來々軒の話とは関係がない。淺草來々軒の謎めいた物語は、いよいよ佳境。ちょっとまとめの時間が足りないので、わき道にそれよう。

 前回のレヴュー、尼崎の「大貫」が創業したのは1912(大正元年)、神戸外国人居留地である。ボクはその旧居留地内にあるホテル・・・正確に言えば、旧神戸市庁舎4号館の跡地に建ったホテル、を出て、南京町に向かっていく。ちょうどサラリーマンたちが帰路を急ぎ始める時間帯であった。

 神戸の旧居留地は、東京で言えば丸の内と銀座が混在となったような街である。そしてすぐ隣に、規模は小さいが横浜の中華街のような街に続く。今、神戸の街は‘まん防’宣言中ではあるが、人々はとっくに慣れっこだ。我慢ガマンと政府は言うが、そうそうそれが続くはずもなし。先ほどのピアノの音を背後に聞く中、商業施設は灯を煌々と照らして客を誘い、若いカップルは洒落た洋館風のレストランに吸い込まれていく。ボクはと言えば、このメリケンロードを渡れば、そう、神戸の中華街・南京町に辿り着く。煌びやかなライトの中からさて、どの店を選ぼうか?

 などと考えながら長安門をくぐったボクの眼前に広がったのは、華やかなライト群どころか、ほとんど真っ暗で人通りのまばらな、まるでゴーストタウンのような街であった。まだ梅雨のさなかで、日中は雨が降ったり止んだりという陽気に加え、横浜の中華街だと住居が一体となっている場合が多いが、神戸の南京町はの店はあくまで「店」であるということも、こんな薄暗い街になってしまった要因なのだろう。

 少し先に進んでも、大半の店がシャッターを下ろしたままである。店が開いていないから、そりゃ人通りだってまばらだ。店頭で饅頭などを売っている店の、売り子の声だけが虚しく街角に跳ね返る。

 どうしよう? 数軒しか店は開いていない。それでも数年ぶりの南京町だ。折角来たのだから、と視線を移せば、ああ女子大生くらいの売り子が立っている店がある。もういいや、此処にしよう。スマホでRDBを開いてみれば、案の定登録もない。まあ良い。このまま暗闇が支配する街を徘徊していれば晩飯を逃す羽目になる・・・

 と入ったのがこの店だ。すぐさまチャイニーズのお母さんがやって来て「ナンニシマス?」と聞いてくる。まん防だが19時前ならビールだろう! とにかく今日は、朝早く高山を出て、在来線にて名古屋経由で尼崎に行き、さらに神戸まで来たから、疲れが酷い。ビールでも飲まんとなあ。

 ボクのほかに客は2人。それでも後から二組6人ほどがやって来た。南京町では最も客が入った店かも知れない。先ほどのお母さんに尋ねると「とにかくまん防で・・・オキャクさんいないアルヨ。他所の店、オキャクさん来ないカラ、昼間でもアケナイね。辛いアルネ。ウチ、大学生の娘イルヨ。だから、外でウッテルネ」。うーむ。コロナは一体いつ迄人々を泣かすのか。

 で、喰ったのがこいつだ。まあ中華街の調理麺である。麺もスープも特徴がない。つまりはちょっとお上品な塩味スープに歯応えのない細麺、である。ただ、具は豊富である。帆立、海老、烏賊、マッシュルーム、筍、青梗菜、人参などなどで、結構食いでがある。これで1,000円なら文句はない。

 帰り際、外で饅頭などを売る女子大生の娘さんに声を掛けて、ボクはすっかり陽の落ちた南京町の暗い街の中に再び出て行った。早く、またあの賑わう南京町に戻って欲しいと願いながら。


 さて、神戸・南京町は、当時の中国=清国が日本と条約非締結国であったため、外国人居留地に住むことが出来ず、その西側に隣接する現在の地に中国人が居を構えたのが始まりだ。また、三宮駅を挟んで北側に位置する北野異人街は、開港後の来日外国人の増加による居留地の用地不足から明治政府が居留地から山手に延びる南北道を整備、このため居留地や港が南に一望できる環境のよい山手の高台に外国人住宅である異人館が集まったものである。南京町にしても北野異人街にしても、横浜の中華街や山手西洋館エリアに比べれば比較的コンパクトではある。

 横浜にしても神戸にしても1858(安政5)年の日米修好通商条約を初めとする安政五カ国条約により、貿易を前提とした開港場、すなわち条約港とも開港五港とも呼ばれる地である。うち、この神戸は1868(慶応3)年1月の開港だ。この開港がなければ、両都市の中華街も異人街も存在し得なかった。無論、大貫だって同じこと。

 神戸には開港の3年前まで、この南京町の先、現在の新港町に海軍操練所があった。それは勝麟太郎(海舟)の建言によって幕府が設置したものであり、のちに討幕の士となる坂本龍馬が海軍塾々頭として在籍していた。

 そして神戸の開港は、坂本龍馬が京都河原町の近江屋で何者かに暗殺された、僅か20日のちのことであった。龍馬暗殺の犯人はいまだ謎とされるが、幕臣によって結成された京都見廻り組とする説が有力である。

(注 兵庫県の‘まだまん延防止等重点措置’期間 2021年6月21日から7月11日。ボクが行ったのは7月初め)

 次回は・・・またもや來々軒とは無縁の店で。
 題して ぶるまさんの怒りの沸騰~名古屋篇 ?

投稿(更新) | コメント (7) | このお店へのレビュー: 1件
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コメント

おはようございます^^
今回は来々軒とは別バージョンなんですね。
神戸はあまり詳しくないので参考になります。
あの南京町がそんな状態なんですね。
8月に三宮に行く予定なので(*^-^*)

mocopapa | 2021年7月22日 09:02

南京町は行ったことないですが、
横浜の中華街をコンパクトにした感じなんですね。
早く活気が戻って欲しいです。

NORTH | 2021年7月22日 15:16

どもです。
大阪と岡山は仕事で行くなですが、神戸は
通過したことしかありません😱
中華屋でも関東と関西の違いがあるのかなあ😍

こんばんは。
南京町も惨憺たる状況なんですね~
横浜中華街も同じなんでしょうね~

kamepi- | 2021年7月22日 22:46

こんばんは。

わき道とは言え、大作じゃないですか😂
辛いアルネのお母さんは、自分の店を題材に
こんな随想文が書かれてるとは知る由もないでしょう。

としくん(しばし休憩中) | 2021年7月22日 23:44

こんばんは
在来線で高山から神戸はありますね。
そりゃ、疲れた事でしょう。
でも記憶に残る旅になってますね。
自分もまた色々行ってみたいなぁ^ ^

あらチャン(おにぎり兄) | 2021年7月23日 04:01

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さん、こんにちは。

南京町は近々行ってみたいと思っているのですが、やはりコロナ禍の影響で
営業停止しているお店も多いようですね・・・これはつらい。
いつになったらコロナ禍は落ち着くのだろうか・・・

ぬこ@横浜 | 2021年7月23日 10:37