中華楼の他のレビュー
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さんの他のレビュー
コメント
おっと、ココ忘れてましたー😣
早速行かなきゃ😆
いよいよ次回が最終回ですね😊
NORTH | 2020年4月6日 10:21こんにちは〜
こちらが最古のラーメン専門店なのでしょうか?
回を重ねるごとにレビューに引き込まれていきます😊
最終回、楽しみです👍
銀あんどプー | 2020年4月6日 10:55ピンクチャー好きよ!
junjun | 2020年4月6日 10:57どもです。
ぢっちゃんさん何者?
どうしたらこんなに詳しく調べられるんだろ(*^^*)
最終回楽しみ(^^)
ラーするガッチャマン(通院中) | 2020年4月6日 12:37コンニチハ^^
ここもBMしているんですが(^-^;
山菇湯麺食べたいんですよ。
千束の中華樓 よく調べられましたね。
最終回 楽しみですが終わっちゃうのが寂しいです。
mocopapa(S852) | 2020年4月6日 12:41こんにちは
浅草來々軒が初では無い可能性がデカイですね。
何処が初と決められない、決めつけてはいけない気がしてきました。
確かにラーメン博物館の一階にも來々軒と書いてありました。
いよいよ2500レビューで最終回。
ドキドキしながら楽しみにしています。
あらチャン(おにぎり兄) | 2020年4月6日 12:51こんにちは。さらに最古の店が見つかるのでしょうか。最終回を楽しみにしています。
いたのーじ | 2020年4月6日 18:06こんばんは。
チャーシュー旨そうですね〜
さて、最終回はどんな結末が待っているのでしょうか。
kamepi- | 2020年4月6日 18:14私もブックしたものの未訪問です。
いよいよ佳境に。深いですね。
今の私には、良き気分転換にもなります。
おゆ | 2020年4月6日 18:21こんばんは😊
また定説を覆す店の登場ですか。
さて、どんな結末が待っているのか、
もうすっかり連載小説読んでる気分。
としくん | 2020年4月6日 19:52おはようございます。
こちら、高級中華に見えますが?気のせい…
コロナの影響ありますよね。
小説のようなレビュー素晴らしいです。
あひる会長 | 2020年4月7日 09:07
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
甚平
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華





どうして、此処もレヴューが上がらないのだろう? ボクの外には、たった一人のレヴューがあるだけ。定食類はとてもリーズナブルだし、スタッフの感じは頗る良いし、何より旨い。RDBでは中国・中華料理店のレヴューは少ないことは確かだが、こうもレヴューが上がらないと、ボク的にはもう不可思議な域に入ってしまっている。
此処もまた、新型コロナの影響なんぞは無縁のようである。平日、まだ正午には30分はあろうかという時間帯だが、席は七割ほど埋まり、さらにどんどんやってくる。正直、此処が職場の近くであれば、月のうち2~3回はボクも来て食べるだろう。安いし美味いし種類も豊富。近隣の方々はそれを良く知っている。
今日頂いたのは叉焼麺。迷った末に「これ!」と指でメニューを指した先にそれがあった、という程度。ただ、前回来て食べた際、土産に叉焼を買って帰って、たいそう美味しく頂いたから、味に間違いはない。
けれど・・・ぶっちゃけ、チャーシューは甘いのである。横浜中華街でもなんどか土産にチャーシューを買って喰ったが、だいたい、甘い。けれど、前回の揚子江菜館でもそうであったように、それがスープにいい効果を与えていくのだ。
それほど濃い味ではないスープに甘い味が移ったら、そう、今度は卓上の自家製辣油と、豆板醤の出番である。甘いと辛いがスープで出会い、一気に面白くなってくる。
麺もまずまず。この手のスープには間違いなく細麺だろう。無論、ここもそうだ。チュルチュル啜れるからナイスなんだ。
チャーシューのほかに、デデンと居座るのは青梗菜。丸ごと一本、である。ほかに散らしたネギしか具はないからいいんだが、まあなんと、包丁が入っていないのである。だから食いちぎるしか手はない。しかし、根本はどうやっても噛み切れない。料理長さん、これはせめて根元に包丁入れようよ、ってなもんである。
店の前、都道315号線、通称・蔵前橋通りを挟んで向かい側は、日本武尊を祀った鳥越神社という立地のこの店。1923(大正12)年の創業だ。もうすぐ100年になる大変な老舗。大正時代、中華店が多かった神田や淺草界隈からちと離れるが、歩いて行けない距離ではない。
実は浅草は千束に、1908(明治41)年に開業した同じ屋号・中華樓という店があった。その店というのが、実は、・・・なのである。
さて、ここからが【淺草來々軒にまつわる八つの物語 其の七 「先達」】。いよいよ來々軒=日本最初のラーメン(専門)店説検証の佳境に入る(笑)。次回はいよいよ最終回。そして、ボクにとってもとりあえず、の最終回。
來々軒を表現するとき、日本初のラーメン店などというものもあれば、東京ラーメンの原点というのもあって、実にいろいろな言葉で來々軒を表している。
こういうのもある。『中華料理店はそれ以前から存在していたが、庶民を対象として、ラーメン、ワンタン、シュウマイなどをメーンとした店はこれが初めてであった』。これは新横浜のラーメン博物館公式サイト、「全国ご当地ラーメン 東京ラーメン」の項である。
『ラーメン、ワンタン、シュウマイなどをメーンとした店』は、來々軒創業の1911(明治44年、あるいは1910・明治43年)より前になかったのか。
前回書いたように、揚子江菜館 は1906(明治39)年の創業であるが、それ以前に「支那そば」という屋号で店を開いていた可能性がある。しかし、支那そば、という店があった、というだけでほかに記録がない。どんなモノを出していたのかも分からない。ボクがプロのフードライターとか料理研究家だったら、あるいは出版社がバックに着いていたなら、すぐにでも取材に飛んでいくのだが、そういうこともないから、今は「支那そば、と言う店が明治39年以前にあった記録がある」としか書けない。
ほかにはないのか? こうして書いているのだから、記録は、ある。昭和の初めに書かれたものだ。先ほど書いた千束・中華樓である。ある本によるとその店の店主は『氣さ(注・キザ)で、頗(すこぶ)る痛快な男でもあるから、千束町では誰れ一人知らぬ者もない』そうで、『開業當時から、支那人のコックを雇』っていたという。
そして、その店のウリは。
『即ちこれまでの支那料理と異なり、支那そば、シューマイ、ワンタンを看板とする』店だった。まるで、それは、淺草來々軒と同じである。
その、千束・中華樓の創業は、淺草來々軒が創業する三年も前のことであった。(続く)