コメント
高山ラーメンに激しく興味!アニメもきっちり観ましたし。
確かに都内では、味も見栄えもカラフルな拉麺に埋もれてしまいそうな気がします。
文中にあった支那そばってのも結構謎めいてる気がするので、いずれ個人的に追ってみようかと考え中です。
とまそん@ラーメン食べて詠います | 2021年7月1日 17:37どもです。
これ以上ないほどのノスラーですが
価格は観光地価格ですね😅
さてさてお次は何にビックラこいたのか😍
ラーするガッチャマン(通院中) | 2021年7月1日 18:01興味深く読ませて頂きました。
次回もまた楽しみにしております😊
NORTH | 2021年7月1日 18:14こんばんは〜
以前にも高山ラーメンは麺が柔くて、と書かれてましたよね😉
僕は結構ソフトなタイプは好きですから口に合うかも?
次のビックラ!お待ちしてまーす😆✌️
銀あんどプー | 2021年7月1日 18:56こんばんはぁ~♪
高山ですか。ここに浅草来々軒につながる謎解きのキーがあるんですね。
続き楽しみにしていますよ(*^-^*)
mocopapa(S852) | 2021年7月1日 20:54ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さん、こんばんは。
高山ラーメンはきちんと食べておきたい地ラーメンです。
自分もまずは創業のお店を狙いたいです。
>地方都市の夜
そのあたりの感覚は喜多方や白河でも感じました。
大都市圏の感覚でスケジュールしちゃうと痛い目見ますよね・・・
ぬこ@横浜 | 2021年7月1日 23:31ご静養の旅でしょうか?
ラーメンもそうですが、
ちょっとだけ情景の浮かぶ宿と雰囲気が
初夏を感じ良いですねぇ~
YMK | 2021年7月2日 08:01こんにちは^^
昨年末のブログも再度読ませていただいて、
臨戦態勢バッチリですよ^^
私も丸デブだと思っていたのですが、高山でしたか。
>信じられない店を見つけてしまったのだ。
気になるー
としくん | 2021年7月2日 18:08こんばんは。
謎は深まるばかりですね~
蕎麦つゆのラーメンと言えば山形の鳥中華は完全に蕎麦つゆですよ。
元々蕎麦屋で蕎麦の代わりに中華麺入れたのが始まりですから。
kamepi- | 2021年7月2日 19:09こんばんは
さっきチラッと開けたTikTokで豆天狗の娘さんがダッシュしてる動画が流れてきました。
高山はほんの少し行っただけだったので、時間を作ってじっくり見てみたいです。
あらチャン(おにぎり兄) | 2022年7月14日 19:21
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
みずみず
さぴお
みーこ
高く実る
はまだ





明治の味を紡ぐ店 長い序章の、其の弐 飛騨高山篇(一)
(ブログ連動企画)
【初めに kamepiさん、今回のシリーズでのボクの行動(何処の店に行くか)は絶対読めませんのでごめんなさい、です。行く順番(正確には書く順番)はおおよそ、昨年の暮れに決めていました。來々軒の物語の最終章を書くためにはかなり広範囲に行く必要があるので、一応の準備が必要でした。コロナ禍で行けなかったのですが、今回一気に回ります】
・・・ううん、やっぱり、全然違う。まあ動物系の出汁が強いスープは、例えば千葉・穴川の進来軒あたりと似ているが、あの店とは麺も具も相似性はないわな。
あの店と全然違うって? あの店って? ・・・後で書こうとしよう。
・・・下呂を過ぎたあたりから陽が照り付けてきた。車窓からの眺めを遮るのは嫌だが、ガラス越しの太陽は真夏のような表情を見せる。暑いんだろうな、と思っていたが3年半ぶりの高山は、ムッとするような気候であった。さっさとホテルに入って、最上階にある展望露天風呂に浸かる。これがあるから、前回と同じホテルにしたのだ。今回はボクにしては珍しく、同じホテルに2泊する。それもこの風呂があるからと言って過言ではない。
それにしても地方都市の夜は早い。数年前のアニメ映画でさらに人気観光地化した高山も例外ではない。中華そば提供店も18時ごろまでには多くが店を閉じてしまう。そしてとても寂しく哀しいことに、夜開けている店もアルコール類を置いている店が殆どないのだ。
今回の高山訪問の目的は、江戸時代にタイムスリップしたようなエリア、すなわち伝統的建造物群保存地区をまた訪れたいということだが、高山ラーメンの老舗数店で食べることもある。今夜は此処だ。創業は1956(昭和31)年で、此処より前の創業店というと限られる。
◆まさごそば 創業1938(昭和13)年。高山ラーメンの創業店。
◆豆天狗 本店 創業1948(昭和23)年。
◆やよいそば 本店 創業1948(昭和23)年。ラー博に出店歴あり。
◆桔梗屋 創業1951(昭和26)年。3年前に訪問済。
本当は、例えば前回高山訪問時に臨休で行けなかった 麺屋しらかわ とか、フレンチ出身の店主の店 中華そば専門店 M ~エム~ にも行きたいのだが、なにしろ今回は淺草來々軒との絡みのストーリーだから、老舗以外の選択肢はない。まあ、またいずれ高山に来る機会もあるだろうから。
露天風呂に入ってまた大汗かいて、とにかく18時にこの店に来た。先客は地元らしきおばちゃんが5人ほど。なんと! 全員がノーマスク!でおしゃべりだ! 感覚が全然違うんだろうね。幸い、ボクが入店するとすぐ全員が出て行った。
ご主人他2名で切り盛りの店内。3分ほどで提供された。で、最初の感想が冒頭の一文である。以前も書いたのだが、著名なご当地ラーメンの中で、この高山と尾道ラーメンの店は都内でほとんど見かけない。尾道ラーメンは以前、神保町や浜松町などに中規模チェーンが出店していたが、今は全滅。それでも個人店(小規模のチェーン含む)がいくつかあるが、高山ラーメンは大手トンカツのチェーン店が都内では2店舗展開している以外には見つけられない。
これはおそらく、麺に原因があると言うか、関東の人間にはこの二つの地域の麺が口に合わないということだろうと思う。尾道の麺はすごく軟いし、高山の麺は細く強縮れで少し軟い。そしてこちらの麺もまた、その高山ラーメンの典型、いや少し硬いけど・・・さらに言えば高山ラーメン店の多くがそうであるように量が少ないし、具がシンプル。
ボクは店に来る前、ホテルでビールを飲んで来たし、年齢からしてもうさほどの量は必要としないが、おそらく100グラムかそれよりやや多い麺量は、若い男性なら二杯は喰わないと満足できないであろう。具も確かにやや厚いチャーシューと、メンマと、それから少しの葱、それだけである。これを潔いと取るかチープと取るかは人による。けれど、これで700円と言うのは23区内の人気(賃貸)路面店並みである。
ともあれ、敢えて動物系が強いと感じながらいただくスープは、意外とコクがあり、そうアッサリもしていない。スープだけなら都内でも人気が出そうだが、さて、この麺の質感と量、具の内容でこのプライスは・・・都内で高山ラーメンを見かけない理由を改めて感じた次第だ。ただし、この具の内容は、昭和初め頃の淺草來々軒と同じ。ナルトもなければ青菜(ホウレンソウなど)もない、玉子だって無論ない。
そして。冒頭書いた「ううん、やっぱり、全然違う」、何と全然違うのかは、いずれきちんと書くとするが、こういうことと関連する。
ボクは昨年12月6日の自身のブログ(注1)こういう趣旨のことを書いている。
「伝承料理研究家の奥村彪生氏は、著書(注2)の中でこう書いているのだ。『(淺草來々軒の)支那そばのスープは鶏や豚の骨からとり、醤油味をつけ、そばだしに似て』いた。さらに『飛騨高山の 豆天狗 本店 や まさごそば のスープもそばだしそのもの』で、『このそばだし系のスープは東京の支那そばがルーツなのです』と」。
残念ながら奥村彪生氏はその根拠を示していない。さらに、高山ラーメン創業者と東京の支那そば(店)の接点はないに等しい(注3)。そして、ボクは高山に来て3杯のラーメンを食べたが、蕎麦だしとはほぼ感じないのである。
と、書いた後に、高山のある店で食べた。「蕎麦だしとほぼ感じない」というのは、明確に取り消す。まったく以て、淺草來々軒の物語を書こうとすると、やっぱりそれは謎めいてしまうのである。
次回も高山からである。そしてボクはその高山で(ボクにすればという条件付きで)信じられない店を見つけてしまったのだ。まさにあり得ない展開で、ホント、ビックラ! なのである。それもブログで写真で近々お見せしよう。
※注1 ボク自身のブログ 「【其の後の、淺草來々軒を、継ぐもの 1】~大正・昭和の店、味、そしてご当地ラーメン~」(改題予定。https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma/e/29fa0d0e620bbded30724266b78172da)
※注2 奥村彪生氏の著書 「進化する麺食文化 ラーメンのルーツを探る」。安藤百福・監修、フーディアム・コミニュケーション、1998年6月刊。のち、加筆の上改題。「麺の歴史 ラーメンはどこから来たか」。角川ソフィア文庫、2017年11月刊。
※注3 高山ラーメン創業者と東京の支那そば(店)との接点 新横浜ラーメン博物館(ラー博)の公式サイトほかから引用すると、高山ラーメンの創業者(店は「まさごそば」・坂口時宗氏は東京・芝浦にあった雅叙園で修行云々の記述があるが、色々調べたがほかに氏と東京の支那そば店との接点は現時点では見つけられなかった。また、ラー博の「全国ご当地ラーメン 高山ラーメン」の記述の中には、明らかにメンテナンスがされていない箇所や、勘違いなのか誤りなのか、訂正あるいは修正すべきそんな箇所がいくつか見られる。これも近々指摘させていただく。一点だけ書いておく。確かに雅叙園は芝浦で創業し1931(昭和6)年に現在地の目黒に移転したが、当時は超が付くほどの高級料亭(北京料理も含む)であって、間違っても「支那そば」の店ではない。