なんとかデータベースラーメンカレーチャーハンぎょうざうどんそば
 

「ワンタンメン(730円)」@中国料理 進来軒の写真謎めく淺草來々軒の物語 最終章 
明治の味を紡ぐ店 第一回 千葉・穴川篇
(ブログ連動企画)

 久しぶりの穴川、そう、目的は此方である。調べると11年振りである。銀座、飛騨高山の店の序章を終えて第一回の店として此処を訪れた理由は、無論、「淺草來々軒」の物語の最終章を書き上げるため、此処がもっとも相応しいと思うからだ。

 ・・・千葉都市モノレールに乗るのも久しぶり。当然のことだが店主の宮葉氏も11年の時を経て、随分とお歳を召された。1942(昭和17)年の生まれで、2021年では80歳近いお歳である。進来軒はいっときの長期の休業を経て現在営業中なるも、夜の営業を取りやめ、メニューも相当絞っておいでのようである。それでもご主人は元気に鉄鍋を振っておいでであった。後継者はおいでなのだろうか? もしおいでにならなければ、淺草來々軒に連なる店の一つがまた消えてしまうことになる。そうならないことを祈るばかりだ。

さて、頂いた一杯。麺はチュルチュル啜れる、ややヤワメのものだが、これぞ中華そば的、な食感で、今のボクにはこういうのが「美味しい」と感じるのである。

 チャーシューは肩ロース。煮豚であるが、味がしっかりついているわけでない。その分、肉の味が楽しめる。のであるが、少々硬いのだ。これは残念である。

 さて。ここからがタイトルに関連するところだ。スープ、である。

 ありがちなノス系の、あっさりとしたスープ、確かにそうなのだが。じっくりと味わうと、意外にも豚が強い、と感じるのだ。このスープ、豚足、鶏ガラがメイン。生醤油のタレ、そしておそらくは“味の●”。あとで触れるが、麺もそしてこのスープも、実は昭和30年代の、当時は東京駅八重洲口にあった(淺草)來々軒と同じ組み立てだそうである。
 
 ボクのブログの続編で詳しく書くことにしているが、淺草來々軒のスープは、大正時代半ばの記録などでは、かなり油っぽく、かつ豚の出汁が強かったという“記録”が複数残っている。ただ、此処が重要なのだが、この「豚出汁が強い」ということが、極めて曖昧な個人の味の記憶によるもので、それも大正半ばから昭和の初めにかけての人々の記憶であるということだ。

 ところで、日本人は一体いつごろから豚を食べるようになったのか。一般社団法人・日本養豚協会の記述によれば、それは新石器時代(約13,000年前)に遡るというが、長い間、仏教の教えである殺生禁断の思想の影響が根強かったため、広く国民が食べ始めるようになったのは明治末期のことだそうだ。その頃、つまり日清日露の戦争が勃発した当時、軍の食料として常用されたことが大きいという。奇しくも、それは淺草來々軒の創業時期(明治43年もしくは44年)と一致する。

 ラーメンは「支那蕎麦」とも呼ばれる。日本人の麺好きは今に始まったことではなく、例えば江戸末期、当時の江戸(東京)にはおよそ3,700軒の日本蕎麦店があったという 。だから日本蕎麦を食べ慣れた人たちの舌には、支那そばが東京の人々に親しまれるようになった大正半ばから昭和初めごろまでの淺草來々軒のスープは随分と脂っこく、豚臭く感じたことだろう・・・と思うのである。

 ・・・この店のことを知ったのは、ノスタルジックラーメンファンのバイブル(と言っていい)『トウキョウノスタルジックラーメン』(山路力哉・編著、幹書房。2008年6月刊、現在は絶版)である。この本の巻末に宮葉氏と、東池袋大勝軒の故・山岸一夫氏のインタヴュー記事が掲載されている。それによればこの進来軒の店主・宮葉進氏は淺草來々軒三代目の尾崎一郎氏が戦後の昭和29年、東京駅八重洲口に開いた來々軒にて昭和31年から10年間務めた経験がある、と記されている。つまり、厳密に言えばこの店は“八重洲來々軒”直系であるということだ。それでも、淺草來々軒の系譜に連なることは間違いはない。

 この話は結構知られているのだが、さて、日本で初めてのラーメン専門店では決してないが、偉大な町中華であった淺草來々軒の系譜に連なる店は、この店のほかにあるのだろうか? 幾つかの店をご存じの方は多かろうが、すべての店を、その関連する話を含めて話せる人はどのくらいおいでになるだろうか? 直系の店、そして派生した店も含め、淺草來々軒ゆかりの店を食べ歩きながら、淺草來々軒の、いうれば明治の時代の味の、正統なる末裔を探そうではないか。

 しかし、最後のピースが嵌まらない。そのピースがどこにあるかは知っているのだが、こんなご時世であるから、なかなかたどり着けない。もう半年以上、待ちぼうけである。しかし何としても、この淺草來々軒を巡る最後の物語を完結させたいのである(一昨日辿り着いたのだが)。


       そしてその物語は、少々謎めいた話ばかり、なのである。

        
 ※先のインタヴュー記事の抜粋も記しておく。謎解きの、ヒントがここにある。覚えていてほしい。

 「三代目の尾崎一郎さんの家が戦争で(注・宮葉氏の住む幕張の)隣に越して来て仲良くさせて頂いた」「マスター(注・尾崎一郎氏)も歳を取られたのに毎日(注・八重洲や内神田の店に)毎日幕張から通ってましたから」。

投稿(更新) | コメント (9) | このお店へのレビュー: 2件

コメント

おはようございます^^
進来軒はもちろん存じていますが伺ったことはありません。
店主さんは80近い年齢なんですね。
これは早目に伺ってその味を舌に刻まないといけないですね!
この連続来々軒秘話、ぞくぞくして読んでいます。
あぁ~続編が楽しみです。(*^-^*)

mocopapa | 2021年7月4日 08:12

一昨日たどり着いたんですね。
謎めいた話の続き楽しみです😊

NORTH | 2021年7月4日 10:27

こんにちは。
一昨日に最後のピースにですか。
それも謎めいてるとのこと。私も楽しみです。

おゆ | 2021年7月4日 10:51

どもです。
たどり着けて何よりでした💓
続きの話、愉しみです❗

青いマーチどんのレブーば奥が深いとですたい

あかちばらち | 2021年7月4日 16:11

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さん、こんにちは。

>日本人は一体いつごろから豚を食べるようになったのか。
豚肉/牛肉の普及と近世の食文化の関係はなかなか面白いんですよね。
豚自体の飼育は江戸時代・1700年頃から記録がある(本朝食鑑)ようですが、
その頃はまだ食肉目的ではなかったようですし、
外食として豚肉を食べるようになったのは幕末の1850年あたりでしょうかね。
庶民が口にするようになったのは明治後期、とんかつの発達あたりと同期していそうです。
豚とラーメンの関連も興味深いですよね。

ぬこ@横浜 | 2021年7月4日 16:27

こんにちは。
此方は知らなかったですが、行っておきたい店ですね〜
最後の一軒はどこの店なのか。
今後の展開が楽しみです。

kamepi- | 2021年7月4日 17:09

こんばんは。

最後のピースがハマったのは、何と一昨日でしたか❗️
結論は後で楽しむとして、まずはコングラチュレーション😊
末尾のヒントはスクショ撮りましたから。

としくん | 2021年7月4日 20:13

こんばんは
ちょうど1年前のレビューですね。
千葉の穴川ですか。
店主さんが頑張られてるうちに行っておかねばと思いました。

あらチャン(おにぎり兄) | 2022年7月4日 20:40