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コメント
なんと、こんなお店が放置されてましたか。
RDBは本当に首都圏以外は弱いですね😣
旭川、一度でいいから行ってみたいです。
NORTH | 2021年9月1日 21:52どもです。
中学時代の初恋の娘が旭川のカムイ町に
引っ越したときは泣きました😣
ぜっせーの美人だったんです💓
定年を迎えたら北海道を回りたいと
思ってますが、旭川は下心ありです(笑)
ラーするガッチャマン(通院中) | 2021年9月1日 22:33こんにちは^^
資料を重ねて背景をほぼ確定させながら、情景が目に浮かぶような
小説タッチの文章で独自史観を展開する。。。今回もさすがですね。
PCで「中」の年表を開きながら、「下」を、今しがた追記まで
読み終えたところです。
実際どうなのかは誰も分からないので、限りなくノンフィクションに
近い創作ということで、今後も長く読まれることでしょう。
>小樽の蕎麦屋、竹家の跡地なども廻れたのに。かえすがえすも残念至極。
いやいや、また行けますから。
旅して、美味しいものを食べて、どうか新たな稿のテーマを見つけてください。
としくん | 2021年9月2日 10:59こんばんはぁ~♪
ちょっと忙しくて読むのが遅れちゃいましたm(__)m
旭川のラーメン史しっかり読ませてもらいました。
この歴史をさらに継いで調べてくれる人がまた出てくれることでしょう。
まだまだ美味しいラーメン食べましょうね(*^-^*)
mocopapa | 2021年9月2日 20:37こんばんは。
旭川らーを語る上でなくてはならぬ当店に、
RDB史上初めて陽の目を当てたレポですね。
興味深く読み楽しみました。
それでは、また!
おゆ | 2021年9月2日 22:04こんばんは
旭川にもこんなに古いお店があったんですか。
刻んでますね。
後世の人がこれを読んで、繋いでいって欲しいですね。
あらチャン(おにぎり兄) | 2021年9月2日 22:58
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華





まだ夕方、と言っていい。陽はようやく西の空に落ちつつあるが、まだギラッと旭川の町を照りつける。泊まる予定のホテルから歩いて5分という距離でも、今年の旭川の夏は異常を通り越し、観測史上何とやら、というレベルの猛暑だ。汗がシャツを濡らす前に店に入ろう。
・・・まだ早い時間帯。だから、店は静かだ。通称三、六。あるいはサンロクと呼ばれる北海道北部最大の歓楽街だそうだが、その角地に位置するこの店、創業は昭和四年、1929年。日本でも「昭和恐慌」と呼ばれた世界大恐慌の引き金となるニューヨーク証券取引所で株価が大暴落した年だ。
さて。
日本蕎麦屋で何故ラーメンを出すようになったのか?
そしてなぜボクは旭川まで来て、日本蕎麦屋でラーメンを食っているのか?
・・・そんな原稿の書き出しを考えながら麺を啜り、スープを飲む。此処が蕎麦屋と知らずに食えば、旭川ラーメンの専門店だと思うだろう。確かにスープは和のテイスト。おそらくは鰹節や昆布など、そばつゆの出汁素材と共通のものが多いのだろう。それでも鶏とか、タレにはチャーシューの煮汁とか、そんなものも使っているかもしれない。
麺は、旭川ラーメンらしい・・・・と、偉そうに書くが、ほとんど経験値がないボクとしては、多分そうだろうと思って書くのだが、麺の長さがきっと長いと思っている。気持ち、スープを拾う時間が長い、と感じる。
そして何より、具。バラ叉焼とは驚いた。しかもだ、昼間食べた 旭川らぅめん青葉 本店 同様、脂が抜けているのにしっとり、なのである。同じ製法か、あるいはあそこから取り寄せているのか、と邪推したくなる。それと、海苔。これ、イイものを使ってるんだろう。下手をすればスープの味を濁すのが、逆に引き立てる。さらに太いメンマときた。こういうのはこだわりなのだろうか。
ナルト。写真をよく見て欲しい。太いピンクの外枠と、中の「の」の字が緑色。そう珍しいものではないが、かといってあちらこちらで見かけるというものでもない。コレ、実は小樽の、「は満長本店」より創業時期が古いの店と同じなのである。そして、その店はまた、日本蕎麦屋、なのだ。ラーメンが小樽から旭川に渡った一つの証、になるやも知れぬ、ナルトなのだ。
小樽。
北海道の日本蕎麦の歴史が始まった町。
旭川にラーメンを伝えた人間が住んでいた町。
札幌で、最初にラーメン店を開いた夫妻が暮らしていた町。
その専門店が戦前、札幌以外に唯一支店を出したのが、旭川。
そして。
蜂屋、青葉の創業は1947(昭和22)年で、その二店が旭川ラーメンの始まりというのが定説である。
しかし一方、戦前に旭川ラーメンは始まった、ともある。それは、昭和の初め。最初に出したのは中華料理専門店、もしくは日本蕎麦屋という二つの説があるのをご存じか。
専門店というのは、札幌の伝説的名店、竹家。その支店が、旭川「芳蘭」。出店が昭和三年で、ラーメンを出し始めたのは翌、昭和四年。
日本蕎麦屋というのは、千葉力衛が開いた「八條は満長」という店で、開業は昭和十一年。
さて、おかしい、とは思わぬか。昭和四年と十一年では七年もの開きがある。それに旭川「芳蘭」が出店したという記録、ラーメンを昭和四年から出したという話は、しっかりした根拠がある。なのに、今なお、二つの説が存在しているのはどういうことか。だれもそれを検証しようとはしないのだろうか?
『旭川で初めてメニューとしてラーメンが登場したのは、昭和初期だといわれており、そば店が、そばに加えてラーメンを提供していたという説と、中華料理店が提供していたという説があります』(旭川市広報誌「あさひばし」、2017=平成29=年11月号)
もう少し、具体的に。
『旭川で始めてラーメンが登場したのは昭和初期だといわれています。資料が不十分なため定説はありませんが、2つの有力な説が存在しています。1つは昭和11年(1936)、いまでも旭川の市街地に店をかまえるそば屋(*注)、「8条はま長」の創業者である千葉力衛がお品書きにラーメンを載せて提供したのが最初という説です』(原文ママ。旭川大雪観光文化検定公式テキストブック「旭川魅力発見伝」2011年版より。以下「旭川魅力発見伝」。なお、「8条はま長」は正式には「八條は満長」である)
『説は2つある。1936(昭和11)年、いまも中心市街地に店を構える蕎麦屋(*注)「八條はま長」がお品書きにラーメンの名を載せた説。もう1つは、それより少し前に、札幌の中華料理店「竹家食堂」の旭川別店「芳蘭」が提供したという説である。』(「今日も旭(きょく)ラー あなたの食べたいラーメンがここにある」 旭川大学経済学部江口ゼミ・著、旭川印刷製本工業協同組合・発行。2015年3月刊)
「八條は満長」の創業者・千葉力衛氏は「小樽から来た職人にラーメン作りを教わった」(「旭川魅力発見伝」)のだ。ボクは、「八條は満長」が、ここの店、すなわち「は満長本店」からが暖簾分けされたことを示す資料を見つけ、そして「札幌~小樽~旭川」と渡り歩いた可能性のある職人の存在を知った。
その職人とは、ロシア革命によって治安が悪化していたさなか、シベリア・ニコライエフスクで勃発した尼港事件の影響で、日本に渡った山東省出身の男のことだ。名を・・・
それはボクの想像というよりは妄想に近いのかもしれない。人によっては与太話扱いするだろう。しかし、世紀を超えて、信頼すべき資料などがあまり残っていない物語を書こうと思えば、そういうことになることはある意味、必然かもしれないのだ。
資料と史料を読み漁り、函館・小樽・札幌・旭川に出かけて食べた、ボクの旭川のラーメンの物語は、この「は満長本店」と、札幌竹家支店「旭川芳蘭」とから始まったように映るが、遡れば明治の初めの小樽にまで辿り着き、ロシア極東、横濱、小樽、札幌などの地を巡りながら、昭和初期の旭川へと向かったのである。そして戦後、物語はいくつかに分岐した。西宮に舞台を移した一つの物語は終焉を迎えたものの、現在の旭川だけでなく、兵庫・灘にまで渡って、今なお、物語は続いている。
その150年にも及ぶ長い永い物語を、かいつまんで話そうか。
https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma/e/2458e4ee67d4a262ad62ad7b2dc58bda
*注 「八條は満長(ここで言う「8条はま長」)」は、新横浜ラーメン博物館公式Webサイトでも”現役店扱い“しているが、2015年5月に暖簾を畳んでいる。
※リンク先の【下】にも書いてありますが、残念ながらボクの、3年近く前に発覚した大腸がん 、両肺転移のあとに、今回、肝転移発覚という経過を辿りました。悔しいことにオペはできない、というよりオペはあまり意味がないということです。
いわゆる「多発性転移」。大きい がん を取ったところで、今は微小な がん が必ず大きくなり、オペしたところで・・・という状態です。何も治療しなければ「あと半年、もたない」との宣告でした。化学療法、ま、ケモともいいますが、抗がん剤治療の選択肢はありますが、ボクは消化器系病院を含め20年ほど医療機関に在籍していた者です。抗がん剤では「がんは治せない」ことは分かっているので、あまりきつい治療の選択はしないと、担当医にも伝えました。覚悟はある程度できていたので、ショックはそれほど大きくはありませんでしたが、正直、恐怖と不安で胸が潰れそうな感覚はあります。
あとは、後悔のないよう、好きなことだけする毎日をしばらく続けようと思います。なので、また来週からふらっと逃避行旅行をして、動けるうちは、喰って、UPします。いつまで体が動くかは分かりませんが、その日が来るまで、どうか皆様、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。