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コメント
初レポお疲れ様です。
神保町って不思議な街ですよね。老舗と新店が同居していて...
醤油が前面に出たコクのあるスープにたっぷりの野菜、いいですねえ。麺も太めでしっかりしているように見えます。
まなけん | 2017年12月3日 07:36おはようございます^^
登録&初レポナイスです。
てか、15年ほど前に勤め先がこの店から
1分のところにありまして、普段使いで通ってましたよ。
サンマーメン、レタスチャーハン、良く食べたものです。
懐かし~!メッチャ行きたくなりました。
としくん | 2017年12月3日 08:17登録お疲れサマです。
RDBは、老舗系はたまに抜けがありますね。
私は発掘する際、別のサイトを利用したりしてー^ - ^
いつもながら歴史考察がすごいです
とまそん@ラーメン食べて詠います | 2017年12月3日 08:26どもです。
登録、御苦労様でした!
この界隈は良くいくので、お店は知っていました。
わたしは小心者なので一人では入りずらいなあ(>.<)
と思っていました(^^)
ラーするガッチャマン(通院中) | 2017年12月3日 08:31ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さん、こんにちは。
千代田区で生碼麺!これはちょっとびっくり。
生碼麺が誕生したのは1930年らしいので、このお店ができた後。
どういう経緯でこの店のメニューが加わったのか気になります。
ぬこ@横浜 | 2017年12月3日 09:04地元に同じ店名の店がありましたが、閉店しました。
神保町でサンマーメンが食べられるんですね。
でもちょっとお高め (^◇^;)
NORTH | 2017年12月3日 11:35こんにちは〜
登録&初レポお疲れ様です⭐︎
凄い老舗があったんですね〜✨
それにしてもリストに50軒もあるのですかー!
次回以降も楽しみです♪
銀あんどプー | 2017年12月3日 13:22こんばんわ。
50件のリストの中で
辨麺…
あると良いなぁ~
いたのーじ | 2017年12月3日 18:33こんばんは。
30年末以上前に顔のワイシャツの近くに勤務していました。
それより前、浪人、大学時代も付近をベースにしていましたが、ここは存じませんでした。
小川町のランチ500円の寿司屋さんには行った記憶がw
還暦二郎(トンゴ氏投薬中) | 2017年12月3日 20:19こんんばんは。
登録・初レポお疲れ様です。
先日長崎で明治32年創業の店に行ってきましたが、
5階建の立派なビルでその面影はどこにも無かったのは少々残念だったかも。
2階にミュージアムは作ってましたが。
kamepi- | 2017年12月3日 22:43ちょいちょい淡路町へ商用へ行くので
ちょっと脚を延ばしていってみようかしら(^^♪
YMK | 2017年12月4日 08:34こんにちは。
登録含めお疲れ様です。
そのお陰で此方を知る事が出来ました。
巻末の歴史も参考になります。
日祝定休なので行きにくいのですが、
一度は機会を作ってみたいです。
おゆ | 2017年12月4日 15:33
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華






時間は紛れもなく、停止した。
ように思える。
静かな土曜の神保町。
この店は知っていたよ。御茶ノ水に書籍を買いに行くときは必ず前を通ったよ。けれど、ほとんど視界に入らなかった。存在を店自身で隠しているような、地味な、目立たない店構え。神保町の、街の風景にすっかり溶けてしまったみたい。
囁き声だけの店内。客が来れば女性店員の声はするけれど。
心が穏やかなになるお店。建物自体はさして古くない。綺麗な店内。
この雰囲気は、そうだな、横濱・山手の 華香亭本店 や、小伝馬町の 大勝軒にちょっと似ている。
円卓に案内された。他の卓はほぼ埋まっているし、二人連れ以上を案内するようだ。
町中華ではなく。かといってそれほど敷居が高い店でもない。
客は、ボクより明らかに高齢な夫婦連れらしきが六組。そりゃそうだろう。と思ったが、後から若い男性二人。明治大学の学生だろうか、一人はいきなりノートを広げ、もう一人は本を読み始める。
この日のメニューは土日祝日専用。もっとも日祝は定休日。その中から選んだ横濱生馬麺。
これを都内の、神保町の、こんな老舗の店で喰えるとは想像だにしなかったが。
旨いスープだ。取り立てて特徴なぞないが、醤油が立ったキレのあるスープ。ほのかな甘み。
円卓を廻して、棘油と酢を少し入れる。
麺は緩いと思ったが、なんの、しっかり噛み応えのあるもの。ダマになっているのは気にもならない。
白菜麺。とでも呼べそうな、結構な量の白菜。そりゃ生馬麺だからモヤシもあるさ。肉だって。
・・・一体、RDBのレヴュワーは何をしている。他人のことは言えないが。これほどの店の登録すらないなんて。
それに、「都内で最老舗ラーメン提供店は 茅場町の 中国料理 大勝軒 」を通説としていた人たちはこの店を調べたのか。これまた他人様(ひとさま)のことは言えるはずもない。
『華人の顧雲海。初代店主 顧雲海は、父が中国から日本の航路の船の船員でした。ある日顧雲海は、父に頼み込み船に乗せてもらい、日本に来ました』。そして『知り合いの留学生たちが「おまえは料理がうまいし、お店を出したらどうだ?」とアドバイス。留学生達がみんなでお店を手作りで作ってくれた』のが、1911年。明治四十四年のこと。中国料理 大勝軒 の創業は大正三年だから、現存するラーメン提供店では、都内最老舗ということになる。
※上記は間違い。
https://buruburuburumachan.amebaownd.com/posts/3335977?categoryIds=946470
これからすると、現存する都内最老舗は「維新號」だが、一度閉店、移転していることを考慮すれば神保町の「揚子江菜館」だろうか。12月21日追記。
明治時代の創業で、他にボクが食べたことのある店は、横濱の
聘珍樓 横浜本店 (明治十七)
華香亭本店 (明治四十一。大正元年という説もあり))
旭酒楼 (明治四十三)
くらい。知っているのもその程度。最古の現存店とも言われる、尼崎の 大貫 本店 だって大正元年(1912) だから。「最古の現存店」の根拠はもう崩れている、か。
またノス系ラーメン店を集中して訪ねようと、書籍やネットで調べていたら、この店に当たった。『留学中の周恩来(注:中華人民共和国の元 政務院総理・国務院総理。田中内閣時に日中共同声明に調印)が「漢陽楼」にお世話になっていた』そうだ。さらに、初代中華民国臨時大総統 孫 文 氏にも料理を提供していたという。
周恩来氏が、明治大学や法政大学付属校に留学したのが1917年から1919年。孫 文 氏が日本に一時亡命していたのが1913年から1916年。店内掲示には「当時、御茶ノ水界隈には当店しか中華料理店がなかった」とあった。
※これもどうだろう? 12月21日追記。
そりゃそうだ。都内で(日本で、という説もある)初めてラーメンを提供したという店、「来々軒」が浅草で開業したのは、この店の創業の一年前、すなわち明治四十三(1910)年のことだ。ほかを見たって、都内老舗と言われる店の多くの創業は、精々1920年代なのだから。
百年以上、神保町や小川町など何度か場所を変えながら、脈々を味を伝えるこの店。風格すら感じてしまう。
佳い店に来たな。しみじみと思う。車で来てしまったので麦酒が飲めない。けれど、お腹も胸の中もたっぷり膨らんだ。また来るさ、必ず。ご馳走様。
明治、大正、昭和、そして平成を生きてきたこの店。その平成もあと一年数箇月で終わる。この店は、次の時代も必ず、多くの客を満足させて行くに違いない。
・・・今回のノス系は、力入れてるよ。大正・昭和創業の、未訪店。リストはすでに五十近いからな。
(※『 』内はこのお店の公式サイトから引用しました)