漢陽楼の他のレビュー
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コメント
どもです。
お店の持ってる雰囲気がそうさせるのでしょう😄
無粋に大声で話す輩、真面迷惑ですから😱
ラーするガッチャマン(通院中) | 2020年4月2日 19:54周恩来が通ったお店なんですかー😱
放置してて失敗😣
早めに行きます
NORTH | 2020年4月3日 00:02おはようございます^^
銀座秘録という戦前の本に書かれているのなら
それが正しい創業年なんですね。
すると漢陽楼と同じとということになりますね。
今はすでに無くなっているお店の中にもっと古いお店があるかもですね。
コロナ明けたらここには行ってみますね。
mocopapa | 2020年4月3日 05:52横浜サンマーメンもよさそうですが
この広東麺も素敵ですね。
YMK | 2020年4月3日 07:57おはようございます☀
最近の学生の消えた神保町は寂しいですね😅
こちら、チャンスがありそうなのでいずれ狙ってみます👌✋
銀あんどプー | 2020年4月3日 08:21おはようございます😃
核心に近づいて来ましたね。
淺草來々軒物語も勿論ですが、
毎回何らかの繋がりある店のレポから
フェイドインしてくるのも凄い。
としくん | 2020年4月3日 08:32こんにちは。
老舗なのにレビューが少ないのは寂しいですね〜
コロナが収束したら回ってみようかな。
kamepi- | 2020年4月3日 10:01こんにちは。なるほど。留学生と関係ありだったのですね。周恩来もびっくりしたのかな。違う店ですね(笑)
いたのーじ | 2020年4月3日 18:02おはようございます。
自分も町中華は、広東麺が一番頼む
可能性大です。何故か安心します。
今回も、深い歴史ですね~(^-^)
まさかの銀座歴史からとは…
あひる会長 | 2020年4月5日 07:22ラーメンの感想が短いのが良いね(笑)
junjun | 2020年4月5日 09:52こんばんは
周恩来が通ったお店ですか。
凄く気になります。
色んな人達がこの店に寄ってこの味を愛したのでしょうね。
またひとつ行きたいお店が増えました。
あらチャン(おにぎり兄) | 2022年8月26日 02:15
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華

hori
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華





23区内のラーメン提供店で、静けさをウリにしたなら、この店は間違いなくトップクラスであろう。学生街で賑やかな神保町にいることを忘れてしまう。いや、もちろん客はいる。サラリーマンのグループが一組、夫婦連れ、単身の女性などざっと10人はいるのだが、静かな店内では会話でさえ小声になるというものだ。
此処は二度目。1911(明治44)年の創業というのに、ボクが登録してやってきたのが2017年の暮れ。以来、残念ながらレヴューを上げたのは、ボク以外にたった一人・・・
前回来たときは土曜日。土曜限定の「横浜生碼麺」をいただいた。今日は平日だから、品書きは変わっている。無難に広東麺を頂いたのだが。
これもイイ。生碼麺もなかなか美味であったが、これもウマイ。スープが妙に少ないなと思ったが、器が深いので不満はないくらいはある。
そのスープ、なかなか深い。コチラ、決して高級中国料理店ではない。むしろ、開業当初の客の多くは貧しい中国人留学生だったろうから、庶民的な店だったろう。しかし、中国料理店で、地元ともいえる留学生の客を満足させるには、やっぱり本場の味を出さないとならなかったろう。まさに一世紀以上続く、本場の味ということか。
麺もなかなか。前回食べたときも感じたが、緩めだけれど、しっかり噛める。こういう麺がこのスープに合うということだ。
烏賊、海老など、広東麺必須の具はもちろんある。白菜もたっぷり、豚肉もそれなり。なかなか栄養のバランスはいいのである。
神保町の町に溶け込んでしまったような目立たない佇まい。注意して見ていないと通り越してしまう。けれど、この店は百年超に亘ってこの街で生きてきた。願わくば、次の百年も。ご馳走様。
さて、ここから【淺草來々軒にまつわる八つの物語 其ノ五】だ。5回目は、「創業年」。
神田界隈は今も昔も学生の街・・・
この界隈には、明治以降次のような学校が開校していった。
1869(明治2)年、開成学校、神田錦町、現・東京大学。
1872(明治5)年 師範学校、神田宮本町、現・筑波大学。
1874(明治7)年 東京女子師範 神田宮本町、現・お茶の水女子大学。
1877(明治10)年 学習院、神田錦町。
1880(明治13)年 東京法学舎、神田駿河台、現・法政大学。
1885(明治18)年 英吉利法律学校、神田錦町、現・中央大学。
1886(明治19)年 明治法律学校、神田駿河台、現・明治大学。
1896(明治29)年、日本法律学校、神田三崎町(麹町から移転)、現・日本大学。
などなどである。
日清戦争後、「日本に学べ」と中国から留学生が多数来日する。留学生の数は1899年に18名だったのが1903年には一千名を超え、1905(明治38)年には8,000名を超えていたという。とりわけ神田神保町あたりは「チャイナタウン」と呼べるほど中国人留学生やその生活を支える人々が暮らす街となった。留学生の中には、孫文、魯迅、周恩来などがいた。しかし、食べ物の違い等で帰国する人も多かったそうだ。
その食の問題を解決するために、この店のような中国料理店があった。神田所在では、現存する維新號(現在は神田にはない)、揚子江菜館も明治期の創業である。
此処、漢陽楼の創業は1911(明治44)年のことで、周恩来らが良く訪れていた。この店の公式サイトでは『19歳の周恩来による東京滞在日記(1918、大正七年)が全文収録された「周恩来19才の東京日記」が小学館文庫から発刊され留学当時、当店に足蹴なく通った事が記されています。』と記されている。來々軒創業以前にラーメン店があったとしたならこの神保町界隈だと、ボクは考えているし、一応の根拠もあるのである。
その淺草來々軒もまた、この店と同じ1911年、明治44年の創業なのだ。淺草來々軒の創業は、通説では明治43年となっているが、調べてみるといい。というか、ぜひとも調べていただき「〇〇によると明治43年」とか「明治43年と、■■には書かれている」といった記述を見つけていただきたい。断っておくが、引用元、すなわち、〇〇や■■は戦後に書かれた本ではだめだ。いや、もっと対象を広げよう。1980年以前に書かれた本などから見つけていただきたい。
多分、見つからないはずだ。まったく唐突に、おそらく1987(昭和62)に出版された書籍に、來々軒の創業年が、いきなり書かれたのだ、とボクは考えている。それ以前には「明治末期」と書かれたものがあるくらいなのだ。この書籍発刊以降、明治43年創業ということが様々な本などで書かれ出した、と考えている。ただ、この説には相当な信憑性はあるとは思っている。しかし一方、1937(昭和12)年に発刊されたある本には『淺草の來々軒の如きは、明治四十四年の開業』とはっきりと記されている、のだ。
今までその本を、來々軒の創業と関連付けた記録はまったくない。ボクが見つけたのは執念である 笑 。なにせその本、浅草とはまったく関係のない、昭和の初めの「銀座」について書かれたものであるからだ。何故、銀座の記録の中に、淺草の來々軒の記述があったのか? もうそうそろいいだろう。
その本とは 『銀座秘録』 、である。
写真は ここに。
http://photozou.jp/photo/show/1868636/265231405
(続く)