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「うま煮そば(780円)」@浅草橋 大勝軒の写真謎めく淺草來々軒の物語 最終章
明治の味を紡ぐ店 第四回 淺草橋大勝軒

 キャベツの緑、木耳の黒、人参の赤、彩が食欲を刺激する。ただ、予想通りというか、人形町系の大勝軒のスープは特徴というものがないように思う。それは食べ慣れた味というか、安心していただけるというか、そういう言葉に置き換えてもいいのだろうと思う。弱い餡を纏った野菜の火入れも文句はない。
 
 それと、この麺は細すぎるのでは、と思うのだ。確かにスープはそれほど強いものでもないし、具も特段変わったモノを使っているわけではない。ありふれた、昭和の頃なら極めて一般的な餡かけそばであるから、麺もありふれた中細の中華麺でもいいのではと思うが、それも不満に思うほどのこともない。


 ・・・この店に来たのは三度目の、つまり前回の都内の緊急事態宣言のさなかであった。休日であるが、ほかの日本橋界隈の大勝軒、三軒の写真を撮ったあと、この店を訪れた。まだ早い時間帯で、先客はない。ただ、すぐご近所らしきの方々数人がおいでになった。なかなかの人気店ではないか。

 さて、ほかの日本橋界隈の大勝軒とは・・・いずれも「人形町系」と言われる大勝軒で、三軒ともすでに暖簾を畳んでしまったのだが、貴方は即座にその店三軒を思い浮かべることができるだろうか?

 それは、日本橋三越前にあった 中華料理 大勝軒 であり、日本橋人形町に店を構えていた大勝軒であり、日本橋横山町(馬喰町)に存在した 中華料理 大勝軒 である。三軒とも最近店を閉じてしまったのだ。もっとも一軒はとうの昔に喫茶店に衣替えをしたのではあるが。
 

 ・・・さて、此処の浅草橋大勝軒であるが、都内に三系統ある「大勝軒」(永福系。東池系もしくは丸長系。人形町系。銀座と葛西にある麺屋大勝軒系は除外する)のうち、もっとも古い人形町系と言われる大勝軒の正統な系統である。このことはラヲタならずとも、少しネットで調べればわかることではある。しかし、この浅草橋大勝軒こそ、現存する唯一の人形町系大勝軒本店からの暖簾分け店であることは、案外知られていないのではないか。



 「(人形町大勝軒系の暖簾分けの店は)17軒ね。いま残っているのは浅草橋のお店の1軒だけ」。



 これは人形町大勝軒(本店)の四代目が昨年インタヴュー(注)で残している言葉だ。もっとも人形町大勝軒本店は20年以上も前に“珈琲大勝軒”となり、長い間、ラーメン類の提供を中止していたのだが。よく関係性を言われる新川の 中国料理 大勝軒 は、そのインタビュー記事によれば「いまは関係性の薄い中国人の方の経営になっている」そうである。これも余談だが、その記事には以前の人形町大勝軒のメニューの写真があり、やっぱり「それ」はあった。それ、とは、そう、辨麺(ばんめん)である。辨麺提供店は横浜に多い(店舗の絶対数は少ないが)のだが、なぜ、人形町系の店に伝わったのか、これも謎で、いつか解き明かしたいとは考えている。

 さて、なぜ淺草來々軒と一見無関係の人形町大勝軒の話を長々と書いたのか。謎めいた淺草來々軒の物語の、一つの“核”となるのである。

 人形町大勝軒の“店舗”としての創業は諸説あって1913(大正2)年ごろと言われているが、それは固定された店を構えた(路面店)時期である。実は先のインタヴュー記事の中で、四代目は明確にこう述べている。

 「明治38年(1905年)ごろね。林仁軒さんという方が20歳ごろに日本へ来て、初代の渡辺半之助と組んで中華料理屋さんを屋台ではじめたのが最初らしいの」。

 つまり、淺草來々軒の創業より5年ほど前から屋台を引いていたのである。そして、その記事には「昭和八年四月淺草支店」と書かれた、三階建ての立派な写真が掲載されているのだ。つまり淺草來々軒と人形町大勝軒は、浅草で競合関係にあったということなのだ。

 そして、これからが本題。以前、「トクちゃんラーメン」のところで書いたことを思い出していただきたい。ボクはこう書いている。

 「この店の公式サイトに掲載されている『(戦前、來々軒が存在した)浅草の店は他人に不法占拠され』という話(ぜひ読んでほしい)である。さて、真偽のほどは? 断っておくが、此処の店主と淺草來々軒との直接の接点はほとんどないのである。」と。


 そして、先のインタヴューで人形町大勝軒四代目はこうも話しておいでなのだ。


 「『(戦争中の疎開先から)帰ったらたまたまお店は焼けていなかったんだけど、その間にちょっと危ない人たちにお店を乗っ取られちゃったの』『もうそんなの、ザラだったのよ。だから少し離れた今の場所にお店を構えたの』」。

 え? ザラだった? 大勝軒四代目の話は、日本橋の話ではあるけれど。ボクは今回の来々軒の物語の中、東銀座の  中華そば 萬福 で、「昭和20年3月10日の東京大空襲で、浅草区・下谷区の9割が焼失した」と書いた。では日本橋あたりはどうか。

 公益財団法人政治経済研究所付属博物館「東京大空襲・戦災資料センター」の『東京大空襲とは』によれば、アメリカ軍は住宅が密集し人口密度が高い東京の市街地を「焼夷地区1号」としていた。その地区は具体的には、浅草区・日本橋区・深川区北部・本所区であった。昭和20年3月10日の東京大空襲では、これらの地区を集中的に爆撃し、先に書いた淺草区・下谷区のほか『本所区、深川区、城東区の全域、神田区、日本橋区の大部分、下谷区東部、荒川区南部、向島区南部、江戸川区の荒川放水路より西の部分など、下町の大部分を焼き尽くし』、罹災家屋は約27万戸、罹災者約100万人、死者約9万5千人を数えた凄惨なものであった。この大空襲を中心とした同年3月から5月にかけての東京の空襲で死者は約9万8千人、そのうち身元が判明し個別に埋葬できたのは僅か8千人であったという。

 つまり、浅草区や下谷区だけでなく、日本橋区もその周辺も焼き尽くされ、10万に上る死者のほとんどが身元すら分からないという極めて悲惨な状況であったわけである。従い、戦争が終結した直後の東京の皇居より東側のエリアでは、何があってもまったく不思議ではなく、乗っ取りとか不法占拠とかいう言葉が適当であったかどうかも分からず、日常的に起きていたことが推測される。このことはまた、淺草來々軒の、創業地淺草の跡地に関わる話に繋がる可能性があるので覚えていてほしい。

 淺草來々軒が、創業の地ではなく、戦後店を再開した(昭和29年)のが東京駅八重洲口であったことには、そういう理由があったのだろうか? しかし、此の話はこれで終わらない。

 東京の、ある店の話へとつながっていくことになるのだ。その店こそ、明治末期創業当時の味を伝える正統なる淺草來々軒の後継店・・・・なのかは、近日公開するボクのブログをお読みいただきたい(笑)。

 流石にそれだけでは意地が悪いので今まで書いて来たことを整理しておく。


一、淺草來々軒三代目・尾崎一郎氏は昭和18年、出征した。そのため、店は閉じられた。
一、淺草周辺は東京大空襲で区域の約9割が消失した。
一、日本橋区とその周辺も、東京大空襲などで焼き尽くされた。
一、淺草來々軒は終戦後、不法占拠されてしまった(「トクちゃんらーめん」公式サイト)。
一、日本橋大勝軒も他人に乗っ取られていた。そんな話は界隈ではザラだった。
一、淺草來々軒三代目は、戦後、幕張(進来軒の宮葉氏の隣)に住み、そこから再開した店(八重洲)に通っていた。これは進来軒のレヴューで触れている。

 区域の9割が焼けた浅草や、甚大な被害を受けた日本橋あたりでは、終戦後の大混乱期、不法占拠とか乗っ取りとか、そんな物騒なことが日常的に起こっていたとしても不思議はないが、さて、では、來々軒が存在した淺草新畑町にあった店の跡地はどうなったのか? 不法占拠でも乗っ取りでも、何らかの形で店は違う形で残ったのではないか? 

 その答えになるかも知れない記述が、ネット上に僅かに残されている。そして、それを残した一人は、実はボクでもあったりするのであるが。

 どうやら、淺草來々軒が創業の地・浅草を離れた訳には“戦後の大混乱”があったようである。


 そして、残されたもう一つの、そして最大の謎・・・「大正半ばからの淺草大勝軒のスープは、獣臭く、脂がきつかった」という話の真偽、である。その答えのヒントは、そう、飛騨高山にあるのであるが、その前に、神戸へと向かおうとしよう。

(注 WEBサイト「デイリーポータルZ」の人形町大勝軒の特集記事。2020年3月11日)
https://dailyportalz.jp/kiji/coffee-taishoken

投稿(更新) | コメント (8) | このお店へのレビュー: 1件

コメント

なるほどぉ~奥が深いですね。
人形町系直系で、唯一営業しているのは
この浅草橋のお店なんですね。

そんな歴史と趣あるお店で、
ビール片手に餃子春巻きに、締めにラーメン啜りたいですね。

YMK | 2021年7月16日 07:59

私も人形町系求めて歩き倒しました〜
本家跡地の「珈琲 大勝軒」でもコーヒー飲んでたきました。😅
数年前まではもう少しあった記憶ですが
屋号変えたり、居酒屋ちっくになってたりで、
確かに純粋に系譜として語れるのはここくらいですね。
外観も好きです。

空襲の悲惨な状況は、それを体験したカミさんの祖父から聞きました。日本橋近辺は不法占拠された所がかなりあったようです。
ブログ楽しみにしております😊

NORTH | 2021年7月16日 08:12

こんにちは^^
今日は暑かったですね💦
あっちに引っ張られ、こっちに引きずられ、ボロボロになりながら
ブルさんの記事読んでます。(笑)
人形町系大勝軒は全く行けてないですね(;^ω^)
三越前にあった 中華料理 大勝軒は行きたかったんですが。
さて次の展開は・・・・楽しみに待っています(*^-^*)/

mocopapa | 2021年7月16日 18:25

こんばんは。

盛り上げて盛り上げてCMに入る、
もしくは次号に繋ぐTV的な手法😂
待つしかないですな😅

としくん | 2021年7月16日 20:42

こんにちは。
人形町系大勝軒の貴重な店なんですね。
よいよ物語は核心に入っていきますね~

kamepi- | 2021年7月17日 09:28

こんばんは
壮大な話になって来ましたね。
珈琲屋になって20年だと、もう完全に途切れましたね。
暖簾分けで続けてるお店の方が正統でしょう。
飛騨高山、神戸。
いよいよ佳境ですか。

あらチャン(おにぎり兄) | 2021年7月17日 20:47

こんばんは。

巻末に紹介されたインタビュー記事と共に、
興味深く読みました。

東京大空襲の甚大な被害ぶりも改めて…

おゆ | 2021年7月18日 20:35