なんとかデータベースラーメンカレーチャーハンぎょうざうどんそば
 

「チャーシュウあじ玉つけ麺」@麺や 高倉二条の写真2011年10月19日訪問
「昭和古典浪漫主題の味覚と香りによる交響的変容」

高倉二条は今回で3回目の訪問。あらかたの概要を知っての訪問です。
今週の水曜日は御所近くで用事があったので、迷うことなく丸太町通りを南下。以前から好印象であった、つけ麺をオーダーするために来店。
しゃれた近代書道風の看板や京町屋風の店舗は、店の前で待つための竹でできたベンチすらも特別な存在意義をもっているように思える。実に瀟洒な店舗だ。私にとっては、遠方から知人が来たときには招待したい店のナンバーワンといってよい。
午後9時の到着時、待ちは2人。約10分で店内に通され、自販機で食券を購入し着席。
カウンターの上にはガラム・マサラ、一味、山椒、粒胡椒の香辛料が統一された容器で並ぶ。いつ来ても整った店構えで、美しく手入れされた店内に感心させられる。
お茶の容器にはジャスミンティーが用意され、セルフで注ぐようになっている。コップに一杯だけ注いで口に含んでみる。店内に充満する鰹節の香りをかき消すようにジャスミンが鼻腔を擽る。
店内の鰹節のにおいによって、一種の郷愁をさそう時間でもある。高倉二条における時間の流れは逆に流れているような気がする。
この瞬間、私はいつも清少納言の枕草子を想起する。「春はあけぼの。やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」の一節。文章のみで視覚、匂気などを再現した美しい句だ。ラーメン店をは思えない魚介系のだしの咽せるような匂いと、漆塗りの香辛料の容器などが、単にラーメンを食しに来た者を全く別世界に誘う。

まつこと7分で着丼。全粒粉と紹介されるやや茶色かかった麺は、水菜と極太の支那竹で彩られている。一方スープ(つけ汁)は、上手く焦げ目の付いた角切りのチャーシュウと、かなり煮込まれた味玉子を湛える茶系の濃厚スープ。強力な魚粉の香ばしいにおいである。これは好き嫌いが分かれるかもしれないが、昭和40年頃の夕餉の準備といえば、この香りによって示されていたように思う。学校帰りの路地から漂う鰹系のにおい、夕方の再放送アニメを見ていると漂ってくるこのにおいで我々は夕食の時間がもたらされることを知っていたように思う。どんなに家から遠い場所にいても、このにおいを嗅いでしまうと家路を急ぎたくなる。そんなにおいだ。平成の今では、このようなにおいによる時間の周知は忘れられているように思う。我々が消失してしまった時間を取り戻すような瞬間が、まさにこのラーメン店でもたらされるのである。このにおいの根源を思い出したところで胸がいっぱいになってしまう。

麺をつけ汁なしで一口口に含めば、その麺の完成度の高さに驚かされる。塩味はかなり控えられ、小麦の香りと食感だけで構成される味覚。さらに、ここにつけ汁の強いにおいが加わると、驚きの相乗効果が・・・。忘れられた昭和40年代の夕餉。我々が主に食していためざしや鰹だしの効いたみそ汁そして玄米で構成される、決して豪華とは言えなかった夕餉のあの雰囲気が、つけ麺という形態として再現されていく。しかし、昭和の食事とはことなり、貧相な雰囲気は全くない。平成の京都で観光資源として十二分に通用する内装、センスのよいBGM、端正な調度品。世界に冠たる先進国日本の、しかも日本を代表する観光地であるという雰囲気が、われわれの食行動に全く異なる要素を植え付けている。さらに、昭和にはあり得なかった、豪華な厚切りチャーシュウだって付いている。さらにチャーシュウは上手く焦げ目が与えられ、芳醇ともいえる肉の香りをスープへのアクセントとしている。そういった意味で、チャーシュウの選択はただしかった。

その後、山椒で香りに変化をつけても、ガラム・マサラで変化をつけても、あらたな可能性の存在を示唆してくれる。とくにガラム・マサラを配合すると、いままでの昭和の雰囲気がエスニック・ジャパンに変化するから驚きだ。さらにその味覚ときたら、脳天を突き抜けるような芳香と濃厚なスープの化学反応、まさに味覚の錬金術であった。

ひたすら味の変化を楽しむうちに完食。食後のジャスミンティーが食中の人間の思考回路を再び現実の自分に戻してくれる。まさにめくるめく味と香りのコンビネーション。十分堪能させて頂いた。ここまで感動を与えてくれるラーメン店は希有な存在であろう。さすが、RDB京都1位。恐るべき完成度といってよい。

投稿 | コメント (0) | このお店へのレビュー: 3件

コメント

まだコメントがありません。