「すみれ September Love」
(ラーメン郷の話と言うよりは「すみれ物語」。長くてすみません。)
私と「すみれ」の出会いは、1994年3月新横浜ラーメン博物館のオープンである。それはそれは衝撃的な出会いであった。松田聖子が「びびびと来た」と言って結婚(1998年)した話は有名だが、私だってその4年も前に、「びびび」と来たのである。でもそこで結婚できなかったのは、相手が「ラーメン店」だったのである(笑)。
「すみれ」が好きになって札幌の本店にも行き、もちろん「純連」にも行った。そしてその両店で修業し、独立したお店も片っ端から食べた。いつしかそういう店を「純すみ」系と呼ぶようになり、可能な限り食べた。
2001年10月、オールアバウトで「純連出身四天王」なんていう記事を書いている。その4軒とは「彩未」「狼スープ」「やぶれかぶれ」「麺屋ひろし」。しかも「彩未」のところに「今後、行列店になるのは必至」と書いており、その予想はすぐに当たった。「彩未」は2000年11月創業だから開店1年以内に食べに行っている。しかもその時は和田山製麺の麺を使っていたのである。
話は変わるが新横浜ラーメン博物館が大きく売上を伸ばしていったのは「すみれ」と「一風堂」の存在が大きい。札幌と博多。今でもラーメンイベントにおいては人気の両ご当地。その両ご当地を代表する店である。表題の「すみれ September Love」であるが歌っているのは「一風堂」である。ラ博が創業した時、「すみれ」も「一風堂」も全国区の人気ではなかった。しかしラ博がオープンすることによってその2店舗は一気に全国区の店名になった。その12年も前にその2店の成功を予言したかのような組み合わせである(笑)。
またさらに余談であるが、高倉健は「すみれLOVE」であった。私が「すみれ」を好きになるより、もっともっと前から「すみれ」が好きであった。その証拠に1981年に公開された映画「駅」でこんなシーンがある。刑事である高倉健が立てこもり犯人の阿藤快にラーメンを届けるのだが、その岡持には「ラーメンすみれ」と書いてある。これは高倉健の希望により「好きなラーメン店」が岡持に書かれたのである。恐らく高倉健は「ここに「すみれ」と書いて良いですか?」と監督に聞いたのであろう。監督は「「すみれ」だけじゃなんだかわからない。せめて「ラーメンすみれ」と書いてくれないか?」というようなやり取りがあったのではないだろうか?(完全な私の妄想(笑))
私は阿藤快とTVで共演したときに映画「駅」の話をしたことがある。阿藤快は「俺さぁ、健さんに撃たれて倒れながら岡持を見たら「すみれ」って書いてあるじゃない。「すみれ」ってなんだろうなぁ?「来々軒」とかじゃダメだったのかな?と思いながら倒れたのよ。あの「すみれ」って、そのことだったのか!」と言っていたのが思い起こされる。
「純連」は村中明子さんが1964年に創業し、「純連」と書いて「すみれ」と読ませていた。そんな昔にあんなこってりラーメンを誕生させていたのだからすごい。しかし、明子さんは引退。「純連(じゅんれん)」として長男が受け継ぎ、1987年に創業。「すみれ」として三男が受け継ぎ、1989年に創業し、1994年のラ博出店で大ブレイクを果たすのである。しかし、明子さんは1995年に復活。その時の店名が「らーめんの駅」。これは高倉健の映画から取っているのである。明子さんと高倉健のやり取りは心温まる話である。
「すみれ」出身者は続々独立を果たしたが暖簾分けを認められたのは2000年創業の「彩未」が最初。2店舗目の「大島」が2013年に暖簾分けをしてもらうまでに13年の月日が経った。その後、2016年に「八乃木」が3軒目の暖簾分け、そして2017年2月「ラーメン郷」が4軒目の暖簾分けとなったのである。
「ラーメン郷(ごう)」の店主は郷(さと)さん。「すみれ」で15年修業(勤務はラ博が長く博多や川崎でも)して独立出店。店名は「すみれ」社長の村中さんが付けてくれた。味噌はすみれ製、麺はすみれと同じ森住製麺、そして15年働いていたとなるとそれはもう紛れも無い「すみれ」だった。
















