コメント
こんばんはぁ~~
浅草には未訪の老舗がたくさんあります。
そろそろまとめて行きたいとも思っていますよ。
昔、本荘藩主の屋敷があったんですか。
50数年前 象潟にいって白瀬中佐の墓にお参りしたことを思い出しました。
mocopapa | 2016年9月23日 21:26こんにちは。
半世紀以上、東京に住んでいながら、
浅草はほとんど知らないんです~
リタイヤしたらゆっくり廻りたいです~
kamepi- | 2016年9月24日 11:09こんにちは。
懐かしい!まだやってるんですね~
バブルの頃 この辺りの料亭関係で働いてて偶に行きましたが。。。んんん なつかしい。
Stag Beetle | 2016年9月24日 11:22
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
プリティ
たいはくさん


甚平





9月上旬。
多くの観光客を呼び込む浅草ではあるが、東京東部に長年住んでいる人間にはさして魅力ある場所ではない。少なくともボクにとっては、雷門も浅草寺も花やしきも、一度か二度訪れたらそれでいい。
しかし、齢を喰ったラヲタにとっては結構な「宝庫」である。いや、クラシカルなラーメンマニア、にとっては、と言い換えよう。
老舗処が目白押し。
山口家本店 は1945年創業だから今年で70年以上の歴史がある。甘味処ではあるが、ちゃんとラーメンもある。6年前にタンメンを喰ったことがある。
雑誌などで様々取り上げられる 来集軒 は1950年創業。7年半前に行ったことがある。噺家などの色紙に混じって、作家・森村誠一氏の「味 証明」なんて色紙があった。
そのほか、戦後すぐから営業しているという 芳野屋食堂 は、入店するのに勇気がちょっと必要か。1973年創業の有名店 あづま もあるし、浅草随一の著名店 与ろゐ屋 は1990年創業。変わったところでは平日の1時間半だけ営業している 珠玉 ってな店もある。
しかし、これらの店よりずっと以前から営業している店があるのだ。
雷門から仲見世を通り浅草寺へ。花やしき方面に折れ、浅草寺病院を右手に見ながら言問通りを渡る。ちょうど「雷5656会館」の前に出るので、左手に見ながら直進する。知らなかったが「浅草観音裏柳通り」というのだそうな。
いかにも旨そうな店構えの日本蕎麦屋を過ぎ、間口の広い格調高そうな割烹料亭の真ん前にあるのがコチラである。創業年を調べると、「2016年で創業百年以上」とあるから大正時代である。まあ、店自体は建て替えたのだろう、さして古くはない。
RDBで知ったのだが、「生姜そば・塩」があるという。ほかの品書きにもなんだかソソラレルのだ。
「さんまんめん」(原文ママ)とは? 餡かけらしいので「生碼麺(サンマーメン)」か?
「四川そば」は辛いらしい。
「パクパクパクチーそば」は文字通り、コリアンダーもしくはシャンツァイ、和名でいうとコエンドロ。アノかほりが強烈なせり科の香辛料で、ボクはまったくダメであるが。
休日の昼前。まだ九月の声を聞いたばかりの時期だ。例年より涼しいとはいえまだまだ残暑が厳しい。陽ざしから逃げるように、ガラスの引き戸を引いて入店する。涼しい風にホットする。
先客2名組が二組。つまり4名。料理と一緒に麦酒である。休日の浅草だ。それも良し。ボクは車で来たからひたすら我慢。
右手に厨房、カウンター席。左手にテーブル席。キレイな店内は、創業百年の面影はない。拍子抜けではあるが、まあ汚いよりは全然いい。
生姜そば、にしようと思っていたが、汗がポロシャツを浸している状況だ。これ以上、ポカポカしたくはない。コチラのチャーシューはとても旨そうだが、最近、食欲が一段と衰え野菜を殆ど摂っていないので、掲題のモノを口頭注文した。
ご主人と女将、といった組み合わせ。ご主人は年齢からして三代目だろうか、手慣れたモンで鉄鍋を振るう。
およそ10分でおまちどさん。ふむ・・・野菜量はこんなモンだろう。麺は・・・・あちゃ、細麺だ。タンメンの王道は・・・まあ、いいか。それではいただきます。
ふむ。町場中華店にありがちな薄味タンメンではない、というよりはかなりシオッケが強い。喉が渇く。鶏メインだろう、出汁感もしっかりしていて、なかなかなモンだ。卓上にある自家製ラー油などで味を調整、うん、イケる。
麺はちょっとがっかりな細麺。コナコナ感がちょっとするが、フニャフニャではなく、しっかりした噛み応えだ。量も結構あって180グラム程度か?
野菜は白菜・キャベツ・モヤシ・人参。肉厚の椎茸が旨い。トンコマは少々で硬かったな。
創業百年超の老舗、ということを頭に置いて喰うべきではないな。太麺で喰いたいが、ほかはさして不満はない。チャーシューをトッピ出来るといいんだが・・・まずまず満足である。今度は冬に来て、生姜そばで温まろうではないか。百年の味がするかも知れない。
外に出る。陽ざしはなお強く、汗が額から滲む。ちょっと周辺を散策したら、案内板が立っていた。簡単に書いておく。
1,677年の頃、この地に秋田の本条藩主六郷邸が造られた。この六郷氏の領国には鳥海山西麓海岸に名勝の地象潟があり、その名を取ってこの辺りは明治五年に浅草象潟(きさがた)町と名付けられた。象潟、とは秋田県にかほ市の地形であり、「東の松島 西の象潟」と呼ばれた風光明媚な場所である。
象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉
周辺にやたら奥の細道の案内板が立っていたが、こんなつながりがあるのか。歴史ある町を歩くといろいろ発見がある。浅草---しばらくこの町に通ってみようか、そんな気にさせる処であった。