ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さんの他のレビュー
コメント
こんにちは〜
手打ちじゃないのに
手打ちって書いてある珍来もありますよね✋
明大前だかにあった大王には25年位前に良く行きました😊
銀あんどプー | 2020年3月9日 17:37渋いですねー😆
暖簾会も奥が深そうですね😅
NORTH | 2020年3月9日 18:06どもです。
昔、取引のあった会社がこの近くにあって
何度か世話になってます(^^)
その会社が引っ越しちゃって急に行かなく
なってました😅
懐かしいです😄
ラーするガッチャマン(通院中) | 2020年3月9日 18:17こんにちは。うようよ生息していそう。辨麺。しかし………やっぱり無いですね。
いたのーじ | 2020年3月9日 20:48こんばんは(*^^*)
暖簾会の旅⁉️
珍來で育ったワタシとしてはスッゲー惹かれますね。
旅のしがいがありますぜ。
所々で絡みますよ~
としくん | 2020年3月9日 20:54こんばんはぁ~♪
暖簾会のレビュー待っていますよ^^
色々ありそうですね。
大一元→代一元じゃないですか?
mocopapa | 2020年3月9日 20:56昭和3年!?
ちょっと想像できないですね。
まなけん | 2020年3月9日 23:58おはようございます。
珍来~なら、味噌ラーメンと餃子よく食べてました。
このレビューは、町中華の歴史を勉強する内容で
素晴らしいです。また拝見させて頂きます。
あひる会長 | 2020年3月10日 07:36台東区の山久は、先日に追随出来ました。
また折に触れて、暖簾会の解説を読ませて頂きます。
おゆ | 2020年3月10日 14:50こんにちは。
つけ麺大王、昔近所にあったので懐かしいです。
珍来も見つけたら入って見ます。
kamepi- | 2020年3月10日 15:54こんにちは
生駒軒は長野の菜館が最初で、都内だと梶原が1番古い。
製麺所が母体だったから、梶原が発祥とも言いづらく、製麺所が閉業して事務所が血の繋がりが濃い人形町に移ったって事なんでしょうね。
あらチャン(おにぎり兄) | 2022年10月6日 10:30
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
Paul
鬼脂権造

ノリダー
TDD





創業 昭和三年。我が国最古の暖簾会・・・
ちょっとしょっぱいな。客層は・・・ロードサイドということもあろうか、ドライバーとかガテン系の人が多いから、しょっぱ目の味付けは当然ということか。
って、若い女性のグループもおいでになる。此処はかなり混雑するということを聞いていたが、なるほど、様々な世代にウケているんだな。
麺は自家製、しかもすぐ隣が工場だからまさに直送、噛み応えのしっかりした太麺、濃い目のスープに良く似合う。ただ、塩ラーメンなどにはちと強すぎるような気もするが。けれど、大手鎖系と違って、珍来は各店でスープを仕込んでいるのがいいんだよ。
広東麺、だから少しの餡を纏っている。そこに白菜メインで人参、木耳、豚肉・・・このプライスだから流石に海老や烏賊はない。ただ、鶉卵はあるんだ。それに、此処来店し着席するとすぐにゆで卵をサービスしてくれる。高いモノではないけれど、待ち時間に喰えるというのは有難い。
・・・ロードサイドの大箱店。客層は様々で、大変な混雑だ。厨房にも若い女性がおいでになる。こういう店はそう簡単に廃れないよな。ちょっとしょっぱーだったけど、まずまず。ご馳走様。
さて。わが国にはいわゆるチェーン(鎖)店と呼ばれるラーメン店が多数存在するが、それとは別に「暖簾会」的なものも多いのだ。この珍来を含むいくつかを紹介しておこう。
◆珍来 現存する、日本“最古”の暖簾会、あるいは鎖の店である。1928(昭和3)年、茨城出身の清水 清氏が日暮里で創業。戦争で一旦休止したが、1946(昭和21)年1月、浅草は瓢箪池脇にて再開。現在、直営店は此処、八潮ほか四店舗。協同組合珍栄会を設立、暖簾分けをして、現在30店舗ほどになっている。都内は足立区、江戸川区、葛飾区、江東区の城東地区に、埼玉も南部に集中している。八潮店を中心に半径50kmほどの内の場所であり、“例外”は茨城の小美玉くらいか。八潮工場で製麺した麺を届けるため。あまり離れていると運べない? のだろうか。
◆生駒軒 創業は1917(大正6)年。「荻窪丸長」創業者の青木勝治氏と同郷(長野県山ノ内町)の、児玉彦治氏が台東区松が谷に児玉製麺所を開いたのが始まり。丸長・青木氏と児玉氏は上京後も付き合いがあったそうである。店舗としては、おそらく生駒軒 梶原店が最初。人形町の店が創業店というネット情報も多々あるが、梶原店のほうが先と思われる。最盛期には120店ほどあったというが、今は30店舗を切る。暖簾会の正式名称は「生駒軒相互親睦会」。親睦会の唄まである。ボクのブログに詳しい。
https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma/e/e0117eed798777ac632c952230b100ba
◆光陽楼 1947(昭和22)年創業。立石にあった「華陽楼」に勤めていた田中庄五郎氏が亀有で店を開く(亀有総本店=廃業)。最盛期には50店舗近くあったそうだ。現在は立石、荻窪など7店舗ほどになっている。ボクは創業者の甥御さんが経営していた青砥の店に何度か行ったのだが、いつも閉まっており、やがて廃業してしまった。
◆山久 1964(昭和39)年創業。上野の 中国料理 山久 が始まりで、今も営業中である。最盛期には45店舗あった。現在は江戸川区内に3店のほか、西新井や根岸などに7~8店舗現存している。
◆代一元 1950(昭和25)年創業。村山勇氏が現在もなお営業中の 代一元 総本店 を開く。最盛期には20店舗ほど存在していたそうである。現在は中野、笹塚などに8店舗ほど営業している。
◆味の横綱 創業店・創業年次不詳。ただし、曳舟にある東向島店 味の横綱は1958(昭和33)年の創業。三田の二郎創業時より前からメガ盛りタンメンを提供している店でもある。ボクは高校が近かったので、週一程度通ったものだ。ボクだって、あのメガ盛りも苦も無く喰えたのだ。ま、40年以上も前の事であるが。ご主人は今もお元気で厨房に立っておいでのようだ。頭が下がる。ボクはこの店のおかげでタンメンヲタクになったのである。
横綱暖簾会は、最盛期に「暖簾会」加盟だけで11店あった。RDBによれば現在、東向島のほかに、立石八丁目と錦糸町の店が現役であるが、さて、今も営業しているのだろうか? それから、立石の店は暖簾会に加入していなかったのでは? ボクは三郷の高洲二丁目にあった店の前もよく通った・・・ああ、「かよった」、のではなく、「とおった」、だけのだが、いつ見ても暖簾が破れたままになっていて、やがて廃業してしまった。
◆大王 正式には「元祖中華つけ麺大王」。創業は戦前、大井町。戦後は製麺業であったが、1970年頃荻窪で創業。1972(昭和47)年頃、現在も営業中の 元祖中華つけ麺 大王 総本店 の地に移った。昭和50年代には「1日1店舗」という物凄いスピードで増殖、最盛期には80店舗ほどあったそうだ。現在も横浜の伊勢佐木町や蒲田に2店、新小岩、立石などに存在している。
まだまだある。土佐っ子、ラーメンショップ・・・暖簾会の歴史、これらはもっと詳しく、いずれブログに上げようと思っている。
それでは、長―い、暖簾会の旅を始めよう。
うそ。冗談ぢゃない。時間も金も尽きてしまうよ。でもまあ、次回からのんびり回ろうかね。
出典・参考:
「東京ノスタルジック町中華」辰巳出版、2016年11月刊。
「散歩の達人」No.262、交通新聞社、2018年12月刊。
「東京ラーメン系譜学」刈部山本・著、辰巳出版、2019年11月刊。
「珍来」公式サイト http://www.chinrai.co.jp/
ほか