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コメント
こんにちは。
同系列の取珍さんといえばすぐに「うまに麺」と思い浮かべられるほどの甲板メニュー。
自分は取珍さんもこちらも未訪なのでうまに麺に行ってしまいそうです。
glucose | 2020年5月23日 08:22こんばんは.
私が唯一行ったことある珍来です.もちろん,うまに麺を食べました.
すごくおいしかった記憶がありますが,現代風なのですね.なるほど.
Paul | 2020年5月23日 09:09どもです。
昔、つくばの東光台に喜元門がありましたが、
石岡にも東光台があるんですね😁
コロナのせいで石岡でのコンペが中止になり
楽しみにしていた三代目むじゃきに行けなく
なったのが悲しいです😅
ラーするガッチャマン(通院中) | 2020年5月23日 09:16こんばんは。
凄い研究成果が得られましたね~
やはり、うまに麺が気になります。
kamepi- | 2020年5月23日 18:29こんばんは~
研究に熱が入ってきましたね👌👍
個人的にはほどほどに美味しいお店が寿命が長いと思うのですが、どうでしょうか。
親衛隊のサポートも凄いですね~👏
銀あんどプー | 2020年5月23日 19:10こんばんは^^
自宅から最も近いのがドラ珍系です。
でも、看板にドラゴンがないんですよ。
その内再訪してみます。
としくん | 2020年5月23日 21:12こんばんは。
船橋の(株)珍來の系列はドラ珍っていうんですね!どの珍来がどの系列か分からないですが、今度から珍来行くときはどのグループなのか考えながら行ってみますね^^
poti | 2020年5月23日 23:40おはようございます❗
RAMENOIDさんのレビューを見ればこちらのチェーンの歴史学がわかりますね😊
川崎のタッツー | 2020年5月24日 05:53おはようございます
整理したらグッと分かり易くなりました。
中華屋さんに勤め始めた年を創業年としている辺りが大胆。
でも師事したとなってるので嘘は付いてない。
中には堂々と嘘をついてるお店もありそうですから。
100年も前の歴史なんか分かりませんし。
戦後に力強く伸びていったのでしょうね。
あらチャン(おにぎり兄) | 2020年5月24日 06:11RAMENOIDさん、
すでにシリーズ13作目ですか。続きますねえ。
店によって微妙に仕様が違うんですね。麺が違うってちょっと意外でした。
まなけん | 2020年5月24日 06:15おはようございます^^
確り分析されて、会社の歴史の考察も参考になります。
これドラマになりますね。脚本書かれたらいかがかと。
そんなドラマだったら視聴率取れそうですね。ラヲタには(笑)
mocopapa | 2020年5月24日 07:10おはようございます☆
珍来の歴史、面白いですね。
昨日バイト中に「珍来飯店」というのを見つけたんですがコレはまた別の店舗なんでしょうか。
スポンサーにもなられてるとは地域にもかなり貢献されてるんですね。
ノブ(卒業) | 2020年5月24日 07:38こんにちは。
またもや友情出演ありがとうございます。
虎徹さんの近くは行方でなく玉造店でしたね。
今回はうまにはいかず、タンメンですね。
茎珍のジャンボラーメンチャレンジしたいです。
ももも | 2020年5月24日 22:41
RAMENOID

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ここのところ小チャーハン付きだし,家から近かったので連食しなかったのだが,この日は県内とはいえ距離があったので,久々の3軒め。
茨珍グループ9店制覇,㈱珍來総本店系珍栄会グループに属する茨城県内の3店も制覇したので,いよいよ船橋の㈱珍來,通称「ドラゴン珍来」に突入だ。
行方市の旧玉造町,「麺や 虎徹」さんの近くにあった「珍來 玉造店」さんは閉店してしまったので,現在茨城県内にあるドラ珍は,石岡と取手の2店。
玉造からの帰りに「石岡東光台店」に寄ってみた。
斜めに道路が交差する交差点の角。
赤い壁の店舗には,ドラゴンのキャラクターが浮き出して張られ,「らーめん一筋80年 いままでも これからも 珍來」と大きな白文字で書かれている。
入り口の庇の縁は緑色で「CHINRAI」とローマ字,その下にかかった赤い暖簾には,大きく篆書体で「麺」と書かれている。
この系列の店の共通点がいくつも見られる典型的なビジュアルだ。
珍來の赤と,ドラゴンの緑がイメージカラーなのだろう。
店内はこの2色でデザインされ,現代的な洒落た雰囲気を演出している。
バイトのお姉さんがお出迎え。
厨房の男性陣にも活気がある。
特に感染症対策は取られてないが,広いので十分間隔が取れる。
カウンターに通され,写真付きのパウチされたメニュー表を眺める。
この系列にはMMMさん激オシの「うまに麺」がある。
「人気ナンバーワン」と赤文字で書かれているのは,MMMさんの功績もあったりして(笑)
「うまに麺」は後の楽しみに,この店では比較のためにも「タンメン」を注文。
税込み700円と,こんな雰囲気の店でも価格控えめなのが有難い。
注文から5分強で提供されたのは,暖簾と同じ篆書体の「麺」の文字がプリントされた,店オリジナルの器に盛られた一杯。
麺は平打ちの太微ウェーブ。
形状は総本店系とそっくりだが,かなり食感も味わいも違う。
多加水麺だとHPには書かれているが,小麦の味わいが立った硬めの食感。
現代的な味わいだ。
単に茹で時間が短いだけではない。
親衛隊さんの調査によると,この店で使われている船橋珍來製麺所の麺で使用している小麦粉は,日清製粉特注の珍來製麺所専用粉,その名も「珍來」。
取手店には自社製麺をアピールするように、粉袋が掲示されてるらしい。
それに対して総本店系の麺は,日東富士製粉社製の小麦粉「天壇」を使っていて,形状は似ていても粉からして違うらしい。
同族経営ながら,そこまで拘るんだね。
その辺は後に書く。
スープは前2店と同傾向の味わいだが,これまた似て非なるもの。
旨味はこのスープが一番濃く感じるのだが,あちら2店のナチュラルさに比べ,知覚しやすいはっきりとした旨味。
化調の量……とかで片付けてしまいたくはないが,このスープも,伝統的な珍來的な味わいは大切にしながら現代風にブラッシュアップされている感じだ。
具は炒めた肉と野菜。
キャベツ,もやし,ニンジン,ニラ,キクラゲ等が色鮮やかにシャッキリと炒められている印象。
ちょっと気になったのがキクラゲ。
戻しが浅いのか,カリカリに近いシャリシャリ。
麺やスープやその他の具材の炒め具合と統一感はあるのだが,キクラゲくらいはプリプリしていてほしい。
意図的だとしたらやり過ぎかな。
麺量はこれも200g近いのだろう。
スープもやや少なめなのは現代的だ。
ここまで,珍来または珍來を名乗る店のタンメンをかなり食べてきたが,一番はっきりシャッキリの現代風。
社風を体現しているようで,実に面白い比較になった。
若い方には理解されやすいだろうね。
私は味覚だけは若いと常々書いているが,(なら最先端の店に行くよ……)という思いもどこかから湧いてくる。
珍來系に今私が求めているのは,地域密着の配慮とかまったり感とかなのかな。
美味しかったけど標記の採点で。
取手店では,こんどこそ「うまに麺」をいただいてみようと思う。
【研究】
珍來系をよく理解するために,年表に整理しながら考えてみた。
以後,この【研究】では,
(株)珍來総本店(草加)→総珍
(株)珍來(船橋)→ドラ珍
(有)珍來(土浦)→茨珍
豊華食品使用の板橋珍来グループ→板珍
東金珍來系→東珍
独立店舗→独珍
と,略して書く。
今回は,主に総珍とドラ珍についての見解を。
以下の文章は,書く会社のHP等の年表等の記載をもとに,私見を加えてのもの。
一族の創始者,清水清氏は,珍來の創業年と言われる1928年,故郷茨城から上京し,東京都中華麺製造協同組合理事長宇留野八代吉氏に師事とのこと。
この年を「創業」とするのは,個人的にはちょっと無理やりな気もする。
2年後の1930年,清水清氏が「珍來式手打らーめんを考案」とある。
「珍來式」と名付け,公表していたかどうかは分からないが,この年に,現在の2社の製麺に通ずる製麺方が編み出されたのだろう。
5年後の1935年,清水清氏は「葛飾区小菅通りに小さな店を開店した」とあり,この年が個人店として独立した年になるようだ。
その後,戦争に突入,小麦粉が配給制となり一時店は中断。
戦後の1946年,浅草で開店。
年ははっきりしないが,その数年後,足立区千住八千代町に「珍來」を開店したと書かれているので,ここで初めて「珍來」という店が誕生したようだ。(親衛隊さん調査では1947年)
HPに年をはっきり書かないのは,「創業は本当はその年なんじゃ?」と言われるのを逃れるためかな。
ちなみに足立区千住八千代町というのは,現在の地名では足立区梅田で,現在その店はない。
親衛隊調査によると,その店があった場所は現在は交番になっているとのこと。
地図アプリで探索すると,西新井警察署梅田一丁目交番のこと?
HP年表に次に書かれているのは,それから22年後の1968年,「二代目による暖簾分けが梅田に開店」。
現在する最古の「珍來」と言われる「珍來梅田店」のことだと思うが,これが独立支援暖簾分け制の始まりで,「珍栄会」のスタートだと思われる。
実は,このシステムが整備されるまでの22年の間,千住の珍來で修業した方々が,珍栄会に属さない独立店として各地に存在する独珍なのではないか。
茨珍は1971を創業としているので,珍栄会に属さない独立を選んだのかな。
さて,問題はその9年後の1977年。
この年に,総珍とドラ珍が成立している。
両社の現社長は兄弟なのだが,自然に考えれば分裂だ。
ところが,総珍のHPには「会社の構成」というページに,「(株)陳來」,すなわちドラ珍もきちんと載せているのだ。
逆にドラ珍のHPには,総珍のことは全く出てこない。
これをどう考えるか。
以下は想像,私見。
初代の思い,すなわち「珍來」の伝統的精神を継承しようとする総珍系の方針に,異を唱え,独自路線を歩もうとしたのがドラ珍。
確かに「珍來」がこれだけ乱立しているのは,暖簾分けに寛容,「珍來」の名称使用を簡単に許し,その店独自の地域密着の味わいを自由にさせえた結果と言える。
ドラ珍は,そんなことじゃ厳しい現代を生き残れないとでも主張したのではないか。
それは店づくりにも味にも表れている気がするし,HPからも見て取れる。
ドラ珍のHPには,柏レイソルのスポンサーをしているとか,メディアに掲載された一覧とか載っていて,現代的な経営戦略がうかがえるのだ。
これは対立するわな。
まあ,総珍は「同族会社」と見ているようだから,端から見るほど深い断絶ではないのかもしれないけどね。