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【超長文注意】2023年11月27日(月)通院を終えて、都内へ。向かうは志村坂上のらーめん松信。20年近く前、行徳の社宅近くで時々現れる屋台が話題になっていた。名前は「風来房」。普段はお台場で営業しているのだが、営業できない曜日があって、その日だけバイパス沿いの店舗の脇の空きスペースに車を置いて店を開いていた。扱うのは千葉県のご当地ラーメン竹岡式とその発展形で生麺を使う台場式。店の前を通るだけで醤油の良い香りに引き寄せられたのを覚えている。家族で食べに行くようにもなった。やがて若い兄さんが店主の手ほどきを受けながら調理をするようになり、じきに店主は去っていった。兄さんはキチンと味を受け継いでくれたので、私はラーメンと梅割り(焼酎)を楽しみに足繁く通った。ある日、屋台は簡易店舗になっていた。兄さんが日曜大工で作ったらしい。空きスペースを提供してくれていた隣の店舗の好意がなければできない技だが、法に則っていない建築だったかもしれない。兄さんは新規に「松ちゃんらーめん」をメニューに上げてきた。初めて食べたあとに「二郎を彷彿とさせますね」と感想を言った。聞くところによると、兄さんは二郎の食べ歩きが好きで、修行の経験は全くないが、研究を重ねて二郎インスパイアのラーメンを作ったそうな。しばらくは従来のメニューと二郎系を迷いながら食べたものだが、コチラが直系二郎にはまるとほぼ松ちゃんらーめん一択になった。しばらくすると隣の店舗のオーナーが替わったことから空きスペースを明け渡さざるを得なくなり、南行徳駅の近くに本格的な店舗を構えることになると聞かされた。オープン初日にお祝いとして小さなフラワーアレンジメントを届けた。名乗ってはいなかったので、送り主名を見て誰だろうと不思議に思ったそうだが、もしかすると「私」かもしれないと尋ねられて、「花を贈られたことを母に話すとすごく喜んでいました」と御礼を言われた。カミサンに「ろくに修行もしないで店を持つことができるなんて幸せものです」と言っていた。それも才能である。南行徳で数年営業したあと、実家のある佐倉で店を開くとのことで、さすがに遠くなり、佐倉には15年前に一度行ったきりだった。そこで二郎系一本に絞ったことを知らされたが、行徳時代から再現度の高い二郎系として評判が高かったので、問題なく勝負できたろう。八千代台に支店までできて活躍の様子がネットを通じて知らされたが、新たに志村坂上にも店を出し、店主はそちらに張り付いているということを知ったのは何年前だろう。久しぶりに検索してみると、どうやらまだ頑張っているようなので、ラーメン代より高い交通費をかけて行ってみた。11時前に到着、既に10時から営業開始しているが、平日のためか店内には客はいなかった。扉を開けて店員さんを見ると、見たことのない若いおにいさん。あゝ、せっかく高い交通費をかけて来たのに、弟子がやっているのか、それとも今日だけピンチヒッターなのか。ガックリしながら麺少なめ 800円の食券を買っておにいさんに手渡してから、トイレに駆け込む。松信さんはいないのかとおにいさんに聞こうか悩む。戻ってから思い切って「すみません、松信さんは……、」と切り出すと笑顔で「僕です」という思ってもみなかった返事が。「ぇ゙~」と仰け反り、「分かりますか」と聞いてみる。「分かってましたよ、よく来ていただいてましたからね。お子さんも連れて来られてましたよね」と。当時は髪も短く、バンダナやキャップをかぶっており、はんにゃの金田っぽいイメージが焼き付いていた。今はパーマの髪に丸メガネで何だか滝藤賢一っぽい(笑)。15年ぶりの再会は感涙どころか何とも笑えてきた。店には行徳の屋台改造簡易店舗の写真があり、懐かしいと同時に当時のことも大切に思ってくれているかと思うと胸が熱くなる。しばらくは貸切状態で昔話など少々。「ニンニク入れますか」と久しぶりに聞かれて「入れてください」とお願いする。此処はヤサイマシが有料なのでいつもニンニクだけにしていた。そしてハイレベルな二郎系。行徳にも二郎インスパイア系の店が幾つかあるが、この味は食べられない。微乳化のスープは下手な直系二郎でも味わえない。満足だ。ごちそうさまでした、美味しかったですと挨拶して席を立つと、「嬉しかったです」と言われたので「私も嬉しかった」と笑顔で店をあとにした。帰宅後、家族に見せるだけでSNSには絶対出さないからという条件で撮影させてもらった松信さんのポートレイトを昼休憩中の長男に見せたところ、絶句してそのあと笑っていた。彼も小学校高学年の頃まで結構一緒に行っていたから、ギャップを感じていたのだ。「平井堅みたいな感じじゃなかったっけ」という、まぁシュッとした感じの印象での記憶は間違いない。
わたしも松信さんの大ファンです。
2023年11月27日(月)
通院を終えて、都内へ。向かうは志村坂上のらーめん松信。
20年近く前、行徳の社宅近くで時々現れる屋台が話題になっていた。名前は「風来房」。普段はお台場で営業しているのだが、営業できない曜日があって、その日だけバイパス沿いの店舗の脇の空きスペースに車を置いて店を開いていた。扱うのは千葉県のご当地ラーメン竹岡式とその発展形で生麺を使う台場式。店の前を通るだけで醤油の良い香りに引き寄せられたのを覚えている。家族で食べに行くようにもなった。
やがて若い兄さんが店主の手ほどきを受けながら調理をするようになり、じきに店主は去っていった。兄さんはキチンと味を受け継いでくれたので、私はラーメンと梅割り(焼酎)を楽しみに足繁く通った。
ある日、屋台は簡易店舗になっていた。兄さんが日曜大工で作ったらしい。空きスペースを提供してくれていた隣の店舗の好意がなければできない技だが、法に則っていない建築だったかもしれない。
兄さんは新規に「松ちゃんらーめん」をメニューに上げてきた。初めて食べたあとに「二郎を彷彿とさせますね」と感想を言った。聞くところによると、兄さんは二郎の食べ歩きが好きで、修行の経験は全くないが、研究を重ねて二郎インスパイアのラーメンを作ったそうな。しばらくは従来のメニューと二郎系を迷いながら食べたものだが、コチラが直系二郎にはまるとほぼ松ちゃんらーめん一択になった。
しばらくすると隣の店舗のオーナーが替わったことから空きスペースを明け渡さざるを得なくなり、南行徳駅の近くに本格的な店舗を構えることになると聞かされた。オープン初日にお祝いとして小さなフラワーアレンジメントを届けた。名乗ってはいなかったので、送り主名を見て誰だろうと不思議に思ったそうだが、もしかすると「私」かもしれないと尋ねられて、「花を贈られたことを母に話すとすごく喜んでいました」と御礼を言われた。カミサンに「ろくに修行もしないで店を持つことができるなんて幸せものです」と言っていた。それも才能である。南行徳で数年営業したあと、実家のある佐倉で店を開くとのことで、さすがに遠くなり、佐倉には15年前に一度行ったきりだった。そこで二郎系一本に絞ったことを知らされたが、行徳時代から再現度の高い二郎系として評判が高かったので、問題なく勝負できたろう。
八千代台に支店までできて活躍の様子がネットを通じて知らされたが、新たに志村坂上にも店を出し、店主はそちらに張り付いているということを知ったのは何年前だろう。
久しぶりに検索してみると、どうやらまだ頑張っているようなので、ラーメン代より高い交通費をかけて行ってみた。11時前に到着、既に10時から営業開始しているが、平日のためか店内には客はいなかった。扉を開けて店員さんを見ると、見たことのない若いおにいさん。あゝ、せっかく高い交通費をかけて来たのに、弟子がやっているのか、それとも今日だけピンチヒッターなのか。ガックリしながら麺少なめ 800円の食券を買っておにいさんに手渡してから、トイレに駆け込む。松信さんはいないのかとおにいさんに聞こうか悩む。
戻ってから思い切って「すみません、松信さんは……、」と切り出すと笑顔で「僕です」という思ってもみなかった返事が。
「ぇ゙~」と仰け反り、「分かりますか」と聞いてみる。「分かってましたよ、よく来ていただいてましたからね。お子さんも連れて来られてましたよね」と。当時は髪も短く、バンダナやキャップをかぶっており、はんにゃの金田っぽいイメージが焼き付いていた。今はパーマの髪に丸メガネで何だか滝藤賢一っぽい(笑)。15年ぶりの再会は感涙どころか何とも笑えてきた。
店には行徳の屋台改造簡易店舗の写真があり、懐かしいと同時に当時のことも大切に思ってくれているかと思うと胸が熱くなる。しばらくは貸切状態で昔話など少々。「ニンニク入れますか」と久しぶりに聞かれて「入れてください」とお願いする。此処はヤサイマシが有料なのでいつもニンニクだけにしていた。そしてハイレベルな二郎系。行徳にも二郎インスパイア系の店が幾つかあるが、この味は食べられない。微乳化のスープは下手な直系二郎でも味わえない。満足だ。
ごちそうさまでした、美味しかったですと挨拶して席を立つと、「嬉しかったです」と言われたので「私も嬉しかった」と笑顔で店をあとにした。
帰宅後、家族に見せるだけでSNSには絶対出さないからという条件で撮影させてもらった松信さんのポートレイトを昼休憩中の長男に見せたところ、絶句してそのあと笑っていた。彼も小学校高学年の頃まで結構一緒に行っていたから、ギャップを感じていたのだ。「平井堅みたいな感じじゃなかったっけ」という、まぁシュッとした感じの印象での記憶は間違いない。