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志木駅から歩いて10分ほどの道のりは、少しばかり気まぐれな旅の導入としてはちょうどよかった。冬の午後の風はゆるく冷たく、ポケットに手を沈めながら歩く僕の耳に、遠くで子どもが遊ぶ声と車のクラクションが断続的に届く。なんということもない日常の風景だけれど、こういうとき人は無意識に、まだ見ぬ温かい一杯のことを想像しているものだ。細い路地の先が開けた先に少しレトロで味のある書体で書かれた「長崎亭」の看板が目に飛び込んだ。外観は派手さこそないが、長い年月のあいだ客を迎え続けた店だけが持てる、あたたかい静けさがある。ほとんどの人はそれを“年季”と呼ぶのだろうけれど、僕にとってはどこか、旅先でふと見つけた秘密基地のような印象に近かった。この店の歴史を辿ると、1951年ごろ、長崎から古賀さん夫婦が上京し、肉屋を営んだことにはじまる。やがて1976年、その夫婦は長崎から持ち込んだ味と記憶を携えて、この「長崎亭」を開業したという。すべては“本場の味を埼玉の地でも届けたい”、そんな願いから始まった物語だ。店内に足を踏み入れるとまず目に入るのは、壁一面に掛けられた数十の時計たち。どれも針は11時2分を指したまま動かない。1945年8月9日、長崎に原爆が投下された時刻である。長崎出身の初代夫妻が「忘れないため」に刻んだ静かな祈り。時は止まっているのに、そこに宿る感情は確かに脈打っている。フロアを切り盛りするのは初代の奥様、そして厨房で鍋を振る2代目とお孫さん。家族三代で守られ続けているという話を聞いた瞬間、“味を継ぐ”という行為は、血の形をした物語なのだと僕は思った。席につき、迷わず注文したのは“ちゃんぽん(竹)”。長崎亭のちゃんぽんは、松・竹・梅の三段構えで、その真ん中の「竹」は具材も量も標準。初めて訪れる人にはちょうど良い加減だ。注文を告げると、厨房の奥からリズミカルな鍋の音が聞こえてくる。野菜を中華鍋で炒める音は、どこか遠くの波の音に似ている。やがて白く立つ湯気とともに、丼が僕の前に運ばれてきた。まず目を奪われるのは、積み上がった野菜。キャベツ、もやし、きくらげ…そのあいだを縫うように、海老、豚肉、ちくわ。そして何より、ピンクと緑の長崎かまぼこが可愛らしいアクセントになっていた。これらの食材の多くは長崎から空輸で取り寄せているというこだわりようで、ただの「再現」ではなく「本場そのもの」を届けたいという強さがここにある。スープをひと口すすると、魚介の淡く深い旨みが舌の奥にじんわり広がっていく。重たさがないのに、物足りなさもない。この絶妙なバランスは、しっかり炒めた具材の香ばしさと、豚骨・鶏ガラ・魚介のうま味が優しく一つに溶け合っているからだろう。そして、麺。これが実に良い。長崎から仕入れたという本場のちゃんぽん麺は、もちもちと柔らかいのに、しっかり芯を感じさせる。喉を通るときの滑らかさは、まるで物語のページをめくるように自然で、気がつけば無意識に箸が進んでいた。この「竹」のバランスの良さは、旅における“ちょうど良い距離感”みたいなものだ。行き先が近すぎても遠すぎても、旅は味気なくなる。その点で、このちゃんぽんは、まさに適度な高揚と安心のちょうど真ん中に立っていた。ちゃんぽんを食べ進めるうちに、僕はふと、店内の時計をもう一度見つめた。それは単なる飾りではなく、ここを訪れる人に「忘れてはいけないもの」を静かに語りかける装置のようだった。動く時計はひとつだけ、中央の“今の時”。止まった時計は数十個、“過去の時”。その対比は、人生そのものだと思った。過去は止まっているけれど、確かにそこにある。現在だけが動き続け、それを指し示す。人は生きながら、たくさんの時間を置き去りにする。けれど、置き去りにされた時間が消えるわけではない。長崎亭は、その「時間の残響」を大切に抱きしめている場所のように思えた。スープを最後の一滴まで飲み干すと、胸の奥がじんわりあたたかくなった。それは栄養が身体に行き渡ったからだけじゃない。この店が大切にしてきた記憶と想いが、静かに染み込んでくるような感覚だった。長崎亭を出ると、外は相変わらずいつもの志木の街並みだった。でも、僕の中では少しだけ違っていた。ほんの20分ほどの食事だったのに、まるで遠い長崎まで旅してきたような、不思議な満ち足りた気持ちがあった。そして思うのだ。“本場の味”とは、単にレシピや食材を再現することではない。そこに込められた祈りや歴史、その土地の記憶までも一緒に運ぶことだと。長崎から来た夫婦が守り続け、それを子や孫へ引き継ぎ、志木の人々へと届け続けてきたもの。それがこのちゃんぽんの湯気の中に、確かに宿っていた。
細い路地の先が開けた先に少しレトロで味のある書体で書かれた「長崎亭」の看板が目に飛び込んだ。外観は派手さこそないが、長い年月のあいだ客を迎え続けた店だけが持てる、あたたかい静けさがある。ほとんどの人はそれを“年季”と呼ぶのだろうけれど、僕にとってはどこか、旅先でふと見つけた秘密基地のような印象に近かった。
この店の歴史を辿ると、1951年ごろ、長崎から古賀さん夫婦が上京し、肉屋を営んだことにはじまる。やがて1976年、その夫婦は長崎から持ち込んだ味と記憶を携えて、この「長崎亭」を開業したという。すべては“本場の味を埼玉の地でも届けたい”、そんな願いから始まった物語だ。
店内に足を踏み入れるとまず目に入るのは、壁一面に掛けられた数十の時計たち。どれも針は11時2分を指したまま動かない。1945年8月9日、長崎に原爆が投下された時刻である。長崎出身の初代夫妻が「忘れないため」に刻んだ静かな祈り。時は止まっているのに、そこに宿る感情は確かに脈打っている。
フロアを切り盛りするのは初代の奥様、そして厨房で鍋を振る2代目とお孫さん。家族三代で守られ続けているという話を聞いた瞬間、“味を継ぐ”という行為は、血の形をした物語なのだと僕は思った。
席につき、迷わず注文したのは“ちゃんぽん(竹)”。
長崎亭のちゃんぽんは、松・竹・梅の三段構えで、その真ん中の「竹」は具材も量も標準。初めて訪れる人にはちょうど良い加減だ。
注文を告げると、厨房の奥からリズミカルな鍋の音が聞こえてくる。野菜を中華鍋で炒める音は、どこか遠くの波の音に似ている。
やがて白く立つ湯気とともに、丼が僕の前に運ばれてきた。
まず目を奪われるのは、積み上がった野菜。キャベツ、もやし、きくらげ…そのあいだを縫うように、海老、豚肉、ちくわ。そして何より、ピンクと緑の長崎かまぼこが可愛らしいアクセントになっていた。
これらの食材の多くは長崎から空輸で取り寄せているというこだわりようで、ただの「再現」ではなく「本場そのもの」を届けたいという強さがここにある。
スープをひと口すすると、魚介の淡く深い旨みが舌の奥にじんわり広がっていく。重たさがないのに、物足りなさもない。この絶妙なバランスは、しっかり炒めた具材の香ばしさと、豚骨・鶏ガラ・魚介のうま味が優しく一つに溶け合っているからだろう。
そして、麺。これが実に良い。長崎から仕入れたという本場のちゃんぽん麺は、もちもちと柔らかいのに、しっかり芯を感じさせる。喉を通るときの滑らかさは、まるで物語のページをめくるように自然で、気がつけば無意識に箸が進んでいた。この「竹」のバランスの良さは、旅における“ちょうど良い距離感”みたいなものだ。行き先が近すぎても遠すぎても、旅は味気なくなる。その点で、このちゃんぽんは、まさに適度な高揚と安心のちょうど真ん中に立っていた。
ちゃんぽんを食べ進めるうちに、僕はふと、店内の時計をもう一度見つめた。それは単なる飾りではなく、ここを訪れる人に「忘れてはいけないもの」を静かに語りかける装置のようだった。
動く時計はひとつだけ、中央の“今の時”。
止まった時計は数十個、“過去の時”。
その対比は、人生そのものだと思った。過去は止まっているけれど、確かにそこにある。現在だけが動き続け、それを指し示す。
人は生きながら、たくさんの時間を置き去りにする。けれど、置き去りにされた時間が消えるわけではない。長崎亭は、その「時間の残響」を大切に抱きしめている場所のように思えた。
スープを最後の一滴まで飲み干すと、胸の奥がじんわりあたたかくなった。それは栄養が身体に行き渡ったからだけじゃない。この店が大切にしてきた記憶と想いが、静かに染み込んでくるような感覚だった。
長崎亭を出ると、外は相変わらずいつもの志木の街並みだった。でも、僕の中では少しだけ違っていた。
ほんの20分ほどの食事だったのに、まるで遠い長崎まで旅してきたような、不思議な満ち足りた気持ちがあった。
そして思うのだ。
“本場の味”とは、単にレシピや食材を再現することではない。そこに込められた祈りや歴史、その土地の記憶までも一緒に運ぶことだと。
長崎から来た夫婦が守り続け、それを子や孫へ引き継ぎ、志木の人々へと届け続けてきたもの。それがこのちゃんぽんの湯気の中に、確かに宿っていた。