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2023年4月26日の大崎裕史の今日の一杯

神奈川県横浜市戸塚区戸塚

鵠沼 醤油ワンタン麺

支那そばや@新横浜ラーメン博物館(2023年4月25日(火)~5月15日(月)まで期間限定出店)

「あの銘店をもう一度」第15弾として出店。今回は、創業の地・鵠沼本店時代の味を3週間限定で復刻。その名も「鵠沼醤油らぁ麺」。
「支那そばや」は1986年8月6日、藤沢市鵠沼海岸に開店。そして新横浜ラーメン博物館には2000年3月11日~2019年12月1日と長期に渡って出店。ラ博草創期の目玉は「すみれ」と「一風堂」だったが、後半は「支那そばや」だった。
ラ博に出る前の味を昔のレシピを元に今のスタッフが再現。
スープは、名古屋コーチンと蔵王土鶏(香鶏)の丸鶏、豚は平田牧場のげんこつ、背ガラ等を使用。その他、ホタテ干し、羅臼昆布、数種の節類など。
麺は佐野さんが初めて使った北海道産小麦「ハルユタカ」を使用。
具は山形県平田牧場「三元豚バークシャー」のバラチャーシューと当時使用していた台湾産の短冊メンマ、九条ネギ、有明産の海苔を使用。

主なメニューは、鵠沼 醤油らぁ麺1400円、鵠沼 醤油ワンタン麺1700円、鵠沼 金華豚チャーシュー麺2300円、他。
今回私は、鵠沼 醤油ワンタン麺を選択。
支那そばやの今のラーメンと比べると遥かに昔のに近いが、私の印象だとかなり違う。うますぎるのだ(笑)。迷わず完食完飲。表に出てお店の人と話をすると「もっともっと改良していきますので、少ししたらまた来てください!」って。えぇ〜めちゃめちゃおいしかったのに。どこを改良するんだろう?「昔の味に近づけていない」なのか、「元々目標としていた方向性と違う」なのか。個人的には、昔の味に似たかなりおいしいラーメンに仕上がっていると思いながら満足して食べ終えた。「もっと良くする」とのことなので、また来るとしよう。

ちなみにこの日は東急新横浜線の遅延により、開店前15分前くらいに着く予定が11時10分着。支那そばやの約30人強の列に並んだのが11時13分、店頭に来たのが11時38分、らぁ麺到着が11時45分だった。

===ここからは佐野実さんとの思い出===
「支那そばや」の思い出と言うよりは佐野実さん(「支那そばや」創業者)との想い出が多いかもしれない。まだ鵠沼海岸にあった頃から噂を聞いて何度も通った。私が「臨時休業」を喰らった初めてのお店かもしれない。当時はSNSはもちろん、インターネットも無かったので行ってみて初めて「やってない」ことがわかるので、都内から1時間半くらいかけて行って貼り紙を見て膝が崩れ落ちるほど、愕然としたものだ。今でこそ、「臨時休業」で休みを取るラーメン店が増えたがその先駆けとも言えよう。とは言っても理由は「食材探しの旅に出ます」だった。愕然とはしながらもそんな理由を聞いて(見て)しまうとさらにおいしくなるのかと思い、また来たくなってしまうものだった。
テレビで有名になる前から店内は緊張感に溢れ、私語厳禁だった。うるさいお客さんを追い出したりしたという伝説もある。それを知っていても私は「おいしかったです。ごちそうさまでした!」と大きな声で言って帰った。いつ出入り禁止になるかドキドキして帰ったものだ。でも、本当においしかったので私なりにちゃんと気持ちを伝えたかったのだ。もちろん他の店でもそうしている。
ちゃんと挨拶ができるようになったのは、「支那そばや」が新横浜ラーメン博物館に出店してから。それからは話をする機会も増えた。1993年に発行された「全国ラーメン食歩記」の情報提供をしていたことを知ったのもその頃。インターネット普及後、私はラーメン評論家としてラーメン本の監修などもやらせてもらったりしているが、情報を見つけにくい時代に佐野さんは全国のラーメン情報を知っていたのだ。ラーメン職人でありながら、ラーメン食べ歩きの方でも先駆者だったのだ。
佐野さん監修のカップ麵は何種類も出ているが、こだわりの店主である佐野さんがカップ麵を監修するはずがない、と思われていたのか、あるいは断り続けていたのか、カップ麵は当初出ていなかった。私が佐野さんをカップ麺メーカーに繋いだのもその頃だ。「実は嫌いじゃないんだよ」と笑った顔が忘れられない。その打ち合わせなどの後に、食事や飲みに誘われたこともあったが、いつも「身体、大丈夫か?大崎君が身体を壊したら絶対ラーメンのせいにされるから身体を壊しちゃダメだぞ。健康には気をつけろよ!」と言われたものだ。私を気遣ってなのか、ラーメンを悪者にしたくなかったのか、今となってはわからないが優しい一面も多かった。
マスコミの人によく聞かれる質問に「いままで食べた中で一番おいしかったラーメンはなんですか?」というのがある。その際にはいつも「佐野さんが作った『禁断のラーメン』です。」と答えている。これはラーメン評論家の元祖・武内伸さん(故人)の5000杯実食記念として佐野さんが作ったラーメンをラー博のイベントとして提供したのであった。ラー博に来た時はいつも2杯か3杯を食べて帰っていたが、その時だけはその一杯で帰った。そのラーメンの満足感や“口福”がスゴすぎて、その後に、何も口にしたくなかったのだ。まさに『禁断のラーメン』だった。それを超えるラーメンはもう出てこないと思う。
佐野さんの功績はラーメン業界のステージを上げたことだ。ラーメンは庶民の食べ物だったが食材にこだわるとおいしいラーメンができることを後のラーメン店主に教えていったのも佐野さん。「食材の鬼」と呼ばれたりもした。麺は製麺屋さんが作るもの、というのが常識だったが「麺へのこだわり」も大きかった。今でこそ当たり前に使われている「内モンゴルかん水」を日本に輸入できるようにしたのも佐野さんの力が大きい。
テレビでの鬼講師の立場で憎まれ役として出演していたが、そのことでラーメン業界は大きく進化することができたと思っている。今、全国のラーメン店でメニュー名に「らぁ麺」と使っているお店は佐野さんの影響を受けていると思って間違いない。口にはしていなくても、佐野さんの影響を受けたラーメン店主の数はものすごく多い。おいしいラーメン屋さんが増えた一翼を担っていたのは佐野さんだと言っても過言ではない。

大崎裕史
大崎裕史

(株)ラーメンデータバンク取締役会長。日本ラーメン協会発起人の一人。東京ラーメンフェスタ実行委員長。1959年、ラーメンの地、会津生まれ。広告代理店勤務時代の1995年にラーメン情報サイト「東京のラーメン屋さん」を開設。2005年に株式会社ラーメンデータバンクを設立。2011年に取締役会長に就任。「自称日本一ラーメンを食べた男」(2024年6月末現在約14,000軒、約29,000杯実食)として雑誌やテレビに多数出演。著書に「無敵のラーメン論」(講談社新書)「日本ラーメン秘史」(日本経済新聞出版社)がある。