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コメント
コチラの店主さんは浅草出身なのですね。
後二つの内、一つは東京ですか。
早く知りたいです😊
NORTH | 2021年7月9日 09:50こんにちは^^
HP拝見しましたよ。
来々軒の味を仕込めるのは宮葉氏と小島氏のみ、みたいな
感謝とも自負ともとれる末尾でしたね。
小島氏ももう75歳くらいですが、受け継ぐ方はいらっしゃるんでしょうか?
としくん | 2021年7月9日 13:37こんばんは。
福島に来られたのは来々軒を追いかけてのことでしょうか。「月美食堂」以来の福島?
本店は妙な甘みがありません(須賀川店は甘い)。いま食べられる私の浅草ラーイメージは「来集軒」ですが、あの豚鶏で独特な醤油味のものとは全く違います。荻窪ラーの方に近いような感じもします。
家にある、古いものから新しいものまでのラー本を紐解きました。全部にご主人は浅草に育ったとありますが、なぜ郡山に店を開いたのかはどこにも書かれていませんでした。
mona2 | 2021年7月9日 19:32あれっ、2200店舗目でしたね。
おめでとうございます!!
mona2 | 2021年7月9日 19:34㊗️2200店舗🎉
來々軒、ここから始まったんですからね
浅草のお店が占拠されてるなんて
物語が、面白すぎます👍
ラーするガッチャマン(通院中) | 2021年7月9日 20:42㊗️2200店舗㊗️
あめでとうございます。
私から見ると雲の上の数字です。
戦後八重洲口で再開した来々軒と接点があるとは、
無論知りませんでした。
元祖的レシピは伝授されたものの、
ご自身のアレンジでやってらっしゃるようで。
後継者はおいでなのかな?
おゆ | 2021年7月10日 05:23★☆★㊗2200店舗☆★☆
おめでとうございます!!!
郡山に浅草来々軒との関係を語る店主さんのお店があるなんて
全く知りませんでした。店主さんにお話を伺うタイミング
勿体なかったですね。
次は東京ですね! (*^-^*)
mocopapa | 2021年7月10日 06:06こんにちは。
此方の店主さんが来々軒と深い係わりがあるとは知りませんでした。
次は東京ですか、関西のお店も気になります。
kamepi- | 2021年7月10日 09:33こんばんは
2200店舗おめでとうございます。
3代目の味を再現出来る数少ないお方ですか。
話すチャンスがありましたが惜しかったですね。
でも来々軒の記録としてこうやって後世に残せてるのが素晴らしいです。
あらチャン(おにぎり兄) | 2022年7月4日 20:54
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
やっぱりネコが好き

HKRamen







明治の味を紡ぐ店 第二回 郡山編
(ブログ連動企画)
『懐かしき、かつ進化した正統派。旨い東京ラーメンは郡山にあり』。
大きくカラーコピーされた、店内に飾られている雑誌の見出し。この雑誌の記事を書いた方、もしかすると見出しは新聞社のように整理部みたいなところが付けたのかも知れないが、おそらく若い人の作ではなかろうか。ラーメン専門店など殆どない時代、つまり昭和30年代から40年代にかけて、東京で、ラーメンをそれほど食べたことがないか、あるいはまったくないか、そんな人ではなかろうか。
クラシカルと言えばそうなのだが、これがボクの「子どもの頃食べた東京ラーメン」とはやっぱり違う。少なくとも、懐かしさはない。だからそれが進化したとは思えないし、正統派の東京ラーメンとも言えないのではないか。テイストは結構複雑で、なぜならスープは『塩は「土佐の塩丸」、昆布は「日高昆布」、鰹は最高級の「本がつお」、静岡産の「煮干し」、豚はゲンコツのみで、比内鶏をはじめとする厳選した地鶏を三種使用』という構成だから。つまり動物系と魚介系が巧みに・・・うーむ、どちらかというと魚介系が強いようにも思う。まあ、しょっぱくもないし、妙な甘さもないから、飲みやすいことは確かだ。
麺は無論自家製手打ち、形状が少し不揃い。これは弾力があってなかなか美味い。
具は100円トッピの葱、少ないな。それにナルト、メンマ、ホウレンソウ、柔らかいチャーシューなどで、見た目も所謂「昭和の東京ラーメン」とはちと違う。
これで850円ならまあ妥当とは思う。味全体もなんとなく予想したようなもの。あとで触れるが、この店は淺草來々軒とは直接関係のない店、系譜に連なる店ではないから、千葉の穴川の店とか、祐天寺の店とか、あるいは飛騨高山の店などとスープの類似性はほとんどない。
此処でちょっと講釈を。
こちらのご主人、小島進氏であるが、淺草來々軒との関りを書いている人もネット上ではおいでだが、ボクが調べた限り淺草來々軒とは直接の関係はまったくない。此方のご主人は子どもの頃、淺草來々で軒食べた、ということもない。なぜなら小島進氏は昭和21年生まれで、当時、淺草來々軒はとうに店を畳んでしまっている。來々軒が再開するのは昭和29年、場所は東京駅八重洲口のことである。小島氏が仮に食べたことがあるとしても、それは八重洲口の店のことであろう。
もっとも小島氏自身は、ご自分の店のサイトで『今は亡き父と幼いころから浅草の支那そばを愛していました。当時はチャルメラなどの屋台も多かったのですが、味は恐らく来々軒に近付けていたような気がしてなりません』と書いておいでだ。
『恐らく来々軒に近付けていたような気がして』というのは小島氏の想像に過ぎず、つまりは來々軒以外の浅草のラーメンに親しんだわけである。ただ、千葉・穴川の進来軒、先日ボクが書いたように、淺草來々軒三代目・尾崎一郎氏が店主だった八重洲時代の店に勤務した宮葉進氏の経営する店、の影響は受けている。一方で、小島氏はこうも書いている。『(宮葉氏の店へ通い続けて來々軒の支那そばの仕込みを教えてもらったが)現在お店でそのメニューは取り扱っておりません』。したがい、現在のこの店は、淺草來々軒とは「味の継承」という点ではまったく関りがない。
それでも、明治末期に創業した店をオマージュし、來々軒三代目直系の店の主人と交流を持ったこの店は、浅草から200km以上離れたこの郡山という地で、一味違った店として人気を集めているようだ。
・・・今年の5月半ばのことである。磐梯熱海温泉に浸かった翌朝、磐越西線で郡山まで戻る。さらにバスで郡山女子大前へ。そこで下車してこの店にやって来た。天気予報では「今日は半袖で過ごせる」と言う。まだ5月、そしてここは東北だというのに。薄手のブルゾンを羽織ってきたが、どうやらそれは必要なさそうだ。今日は平日、まだ早い時間帯なるも、客はどんどんやって来る。そう言えば、大崎裕史氏の足跡も残っていた。11年も前のことであるが石神氏とご一緒だったようだ。
店の外に高齢の男性が所在無さげにしていた。ネット上の写真ではもっと痩せていたように思うが、たぶん店主の小島氏ご本人なのであろう。「美味しかったです」と一声だけかけてバス停に向かう。
しばらくして「しまった!」と思う。そう、こんな機会でもなければ聞くことはできない。慌てて引き返したが小島氏は店の中に入ってしまったようだ。うーむ、残念。追いかけて聞くようなことではない。
何を聞きたかったって?
一つは、浅草で生まれ育った小島氏が、どうして郡山にきたのか?
もう一つは・・・淺草來々軒はなぜ創業の地・浅草を離れて戦後の昭和29年、東京駅八重洲口で店を開けたのか? その答えになるかも知れないのが、この店の公式サイトに掲載されている『(戦前、來々軒が存在した)浅草の店は他人に不法占拠され』という話(ぜひ読んでほしい)である。さて、真偽のほどは? 断っておくが、此処の店主と淺草來々軒との直接の接点はほとんどないのである。
この話には、淺草來々軒と絡み合いながらあと二つの店が関わることになる。そしてそれは、淺草來々軒の謎めいた物語の一つなのである。
・・・淺草來々軒の物語を完結するための最後のピースは関西にあるのだが。この店を訪ねた2021年5月現在、コロナ禍で関西は緊急事態宣言下にあった。其方は宣言が明けてから行くとするとして(先日ようやく訪問できた)、今回は物語を補強するため、郡山までやって来た。まあ、磐梯熱海、磐城湯本の両温泉が目当てでもある。郡山はその中間であるから目的店としたわけである。
明治末期、淺草新畑町で創業した淺草來々軒の物語の最終章。明治の味を紡ぐ店はあるのだろうか? そしてあるとしたらその店は何処に?
謎めいた物語を続けよう。次は、東京の店、二つ。