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2021年8月5日の大崎裕史の今日の一杯

神奈川県川崎市高津区溝の口

中華そば

オープンして20年近くなるお店へ超久しぶりに。2000年前後の和歌山ラーメンブームの際に「まっち棒」支店としてオープン。
今では名古屋に2軒を残すのみで都内の店は閉店してしまった。

こちら、普段は土日以外は夜営業のみなのでなかなか再訪できなかったが、緊急事態宣言中は昼からの通し営業なので、行ってきました。田園都市線溝の口駅南口改札出て30秒くらい。

マスクをしていても臭ってくる豚骨臭。そして濃いめの醤油。細めの低加水麺。懐かしいなぁ〜。
昔食べたときは「本店と比べるとちょっと・・・」なんて思っていたが、本店が無い今、「あぁ〜懐かしい。この味だよ、これこれ」という感じで大変楽しめました。

和歌山ラーメン回顧録(長文注意)
和歌山出身の當仲さんが「まっち棒」を1993年頃、池尻にオープン。
元妻と一緒に行ったら「あなた、おならした?」と言われた。それほど、店内はスープのにおいが充満していた。
当時、市川市に住んでいたから、ここまで一緒に食べに行ったほど、話題になっていた。

1997年1月、豪徳寺に「まっち棒」オープン。
「まっち棒」と言えば、石神さんだが通称石神本の第1号(1998年12月発行)に載っている「まっち棒」は豪徳寺店だった。
テレビでも良く紹介され、私が行ったときも大行列。吹雪の日でワンオペだったために回転も良くなく、しかもお店から声がかかるまで店内に入れないシステム。前の人が食べ終えて、5分以上経っても入れて貰えず、吹雪の中、待っている私は我慢できずにお店の中へ。「こんなに吹雪いているのにいつまで外で待たせるんだ!」と怒りまくる。血圧が上がりすぎて味は覚えてない。そしてそんなこともあって恥ずかしく、その後は豪徳寺店には行けてない。。。2000年頃、閉店。

1998年1月に放送されたテレビ東京「列島横断 日本一のラーメン選手権」で和歌山にある「井出商店」が優勝。和歌山ラーメンブーム&ご当地ラーメンの火付け役になった。その年、1998年10月1日~1999年5月30日の期間で新横浜ラーメン博物館に出店。おそらく、テレビ番組を見て交渉に入ったと思うが、準備期間だなんだ含めて相当大変だったのではないか?と想像。
『行列待ち時間、一日の売上杯数、総売上数など数々のラー博記録を叩き出し、誘致から退店まで一度も行列の途絶えなかったその姿は「不沈艦」と呼ばれている。』(新横浜ラーメン博物館HPより)
まだ、その記録は破られておらず、今後も破られないのではないだろうか?

この「井出商店」効果もあって、都内にも多数の和歌山ラーメンが登場したが、そのほとんどが「井出系」と呼ばれる豚骨白濁系。しかし、実際に和歌山に行くと「井出系」はむしろ少なめで「車庫前系」と呼ばれる醤油が立ったスープが多い。もっとも、「井出商店」も『昭和28年、屋台から始まった「井出商店」。開店まもないある日、創業者の井出つや子(店主実母)が偶然にスープを炊き込みすぎ濁らせてしまった。しかし、このスープがコクがあり、非常に美味。これが「井出商店」の原点。』となっている。久留米ラーメンが白濁したのと似ており、どちらも伝説(実話)の話になっている。

タクシーの運転手から私が聞いた話によると「「井出商店」の店主は宝くじで3億円を2回当てている。」おそらく都市伝説だと思うが・・・。(笑)

「井出系」「車庫前系」というのは、当時新横浜ラーメン博物館広報担当だった、ラーメン評論家の元祖・武内伸さんが言いだしたこと。それが首都圏では定着しているが地元ではそうでもない。1999年3月に発売された「和歌山の中華そばとラーメン」という本の分類は「しょうゆメイン系」(都内では車庫前系)、「とんこつメイン系」(都内では井出系)となっている。

なお、和歌山ラーメンは「豚骨醤油」と言われているが家系も同様で鶏ガラも使っている。「まっち棒」は鶏6、豚4くらいだったはず。

久留米の「南京千両」が昭和12年創業、京都の「新福菜館」が昭和13年創業、和歌山の「○高」は昭和15年創業。歴史的にはご当地の中でも古い。昭和初期から屋台はあったという話もある。(西日本最古のラーメンの可能性がある)

【特徴】和歌山ラーメンは地元では「中華そば」と呼ばれている。最初から胡椒がかけられている。なるとじゃなくてカマボコが入っている。早寿司とゆで卵が置いてあり、ラーメンができあがる前に食べる。店名に○が付く店が多い。会計は食後に自己申告制(当時)。

1998年1月、「まっち棒」の味に感動した東京出身の永井さんが「のりや」をオープン。当初は和歌山ラーメンのつもりではなかったがマスコミの紹介が「和歌山ラーメン」になってしまった。

ラ博の「井出商店」が契約終了で卒業したあと、当時の店長は横浜の上永谷で「紀一」をオープン。もちろん食べているがテレビの取材で訪れた時に「いつもの倍の豚骨を入れましたから」と言って出してくれたラーメンの旨いことうまいこと。私が食べた史上最高の和歌山ラ−メンであった。

「紀一」が閉店し、横須賀に「嶋や」を出店。その後、閉店。
「のりや」は創業者が売却、今は「のりや食堂」として継続。

首都圏で食べられる和歌山ラーメン。
「まる岡」(亀有)
「のりや食堂」(大井町)
「新和歌山らーめん 極ジョー」(立川)
「津多屋」(大久保:休業中)
「まっち棒」(溝の口)※名古屋に2軒ある
「和歌山家」(石川町)
「AWANOUTA」(七里ヶ浜)
「あがら」(戸田公園)
1998年4月に私が和歌山を食べ歩いた日記。
https://ameblo.jp/oosaki-tora3/entry-12690268846.html

お店データ

紀州和歌山ラーメン まっち棒 溝の口店

紀州和歌山ラーメン まっち棒 溝の口店

神奈川県川崎市高津区溝口2-3-7 サウスウイング1F(溝の口)

このお店の他の一杯

    大崎裕史
    大崎裕史

    (株)ラーメンデータバンク取締役会長。日本ラーメン協会発起人の一人。東京ラーメンフェスタ実行委員長。1959年、ラーメンの地、会津生まれ。広告代理店勤務時代の1995年にラーメン情報サイト「東京のラーメン屋さん」を開設。2005年に株式会社ラーメンデータバンクを設立。2011年に取締役会長に就任。「自称日本一ラーメンを食べた男」(2024年6月末現在約14,000軒、約29,000杯実食)として雑誌やテレビに多数出演。著書に「無敵のラーメン論」(講談社新書)「日本ラーメン秘史」(日本経済新聞出版社)がある。