本日、キンレイ新商品(「お水がいらない 喜多方ラーメン坂内」)発表会のゲストスピーカーとして参加。
「坂内」を語らせたら一時間でも足りないくらいです(笑)。
ある程度、語り尽くすと今度は「坂内」で食べたくなるわけです。
帰社して、ひと仕事して近くの「坂内」五反田店に行ってきました。
焼豚ラーメン1050円にのってるチャーシュー、今日は13枚。
昔、最高で21枚のってました。
塩と醤油の中間くらいのスープは、豚清湯。
そう、豚ガラをじっくり煮込んだクリアなスープ。
喜多方は多くの店が豚清湯です。
ここ数年、東京や福岡で“豚清湯”という言葉が出てきましたが、喜多方は昔から豚骨清湯が多く、そこに煮干しを加えたりして差別化していました。
「坂内」はチェーン店ですが、確か店ごとにスープを炊いています。
チャーシューも店舗ごと。なのでブレはあります。
麺は喜多方の曽我製麺。でも、「坂内」用は千葉工場で作っています。
多加水平打ち太麺。それをさらに手揉みして縮れさせています。
「坂内」は、喜多方の「坂内食堂」と深い関係にあるわけですが、同じ味ではありません。「坂内食堂」は塩味なのです。「坂内食堂」の創業者は、喜多方で2番目に古い「上海」で修業しています。私が上京して間もない頃、父が「上海」のお土産ラーメンを送ってくれました。40年以上前の話。冷凍通販ラーメンなんてなかった頃、到着後、要冷蔵のストレートスープでした。さだまさしの「案山子」を聞くたびにこのことを思い出します。「元気でいるか お金はあるか 喜多方のラーメン食べて元気出せ」
あ、脱線してしまいました。話を「坂内」に戻すと、喜多方を中心とした会津のラーメンこそが“ラーメン”だと思っていた私は東京に出てきて『井の中の蛙 大海を知らず』だったことを痛感します。ラーメンにはいろんな種類があることを知り、さらにラーメンへの興味が深まり、井の中の蛙が大海を知って大海原へと旅立つわけです。しかし、「こんなにいろんなラーメンがあるのになんで東京には喜多方ラーメンが無いんだろう?」と思っていました。
しかし、1984年、とうとうできたのです。それが内幸町の「くら」(坂内の前身)。いや〜感動でした。
近くにお客様があったので、そこに訪問するたびに食べていました。
その店の成功で「坂内」チェーンが誕生し、今では約60店舗にまで増えていったのです。
私は1995年に「東京のラーメン屋さん」というサイトを立ち上げ、東京のラーメン店を登録していきました。その時に好きだった「坂内」の都内全店(20〜30軒?)を食べ回ったほどです。
都内では毎月50軒ほどの新店がオープンしており、それらを追っかけていると味覚が若干変わってきます。そんな時に味覚や感覚をリセットするために「坂内」で食べてました。ソウルフードであり、私のベースなのでいろいろフラットにできたのです。
それが今や、300円ほどでスーパーで買えるようになるとは。いやはや、驚きです。
















