なんとかデータベースラーメンカレーチャーハンぎょうざうどんそば
 

「※バンメン(850円)」@華香亭本店の写真新・東京横濱ノスタルジックラーメン紀行 其の拾弐

 http://photozou.jp/photo/show/1868636/243251446

 カチッ。

 カチッ。 
 
 カチッ。
 
 古く大きな柱時計の振り子が揺れている。何十年、揺れているのだろうか。

 ボクは視力が悪く良く見えないが、据え置き式の木製ラヂオ? は音が出るのだろうか。アンティークとも呼べる木製の円卓、四角い卓、椅子は一体何時の頃から料理が乗せられ、客が座っていたのだろうか。

 外の飾り棚に置かれた人形はすっかり色褪せていた。両開き扉の脇の大きな瓶(かめ)は、はて、、何に使われていたのだろう?。そういえば、「営業、再開しました」と小さな貼り紙があった。この店は例年十月から十一月にかけて長期の休業に入るそうだから、その休業が明けた、ということなのか、と思ったがそうではないようだ。「半年ほど休んでいました」。

 ボクのほかにも数人の客は、いる。皆、年輩だ。内緒話でもしているような小さな声で話すのは、店内が静からだろうか。それとも小声だから静かなのだろうか。

 おかみさん?、注文を聞きに来る。ボクはメニュー表なぞに目もくれぬ。頼む品は決まっているから。これしか、頭には、ない。「バンメン、お願いします」「はい。バンメン、ありますよ」。それだけの、会話。

 ちょっとだけ、えっ? と思う。

 「ありますよ」。とは・・・・それは、最後に書くとする。

 平日の昼過ぎ。駅から相当な距離があるが、客は結構、いる。この店の主(あるじ)に声を掛けようにも厨房は相当奥まっているし、忙しそうだ。

 静けさの中、遠くで炒める音がする。

 柔かな陽の光が差し込んで来る。なんとも長閑で、穏やかな、二〇一六年の神楽月、平日の或る日。小春日和。北米などでは「インディアン・サマー」と、呼ぶ。着込んだダウンコートは邪魔者に過ぎない。スーツの上着ですら、隣の椅子に掛けることになる。

 およそ八分ほどで届けられた一杯。正直、少し驚いた。

 大きな烏賊。大ぶりの蝦。海鮮湯麺とでも呼びたくなる。

 スープは、きっと今どきの若い人にはあまり受けないだろう薄味。齢を取って、良い事などさしてありはしないが、こういうスープもありだ、と思えるのは特権だ。ただし、卓上にあった醤油をほんの僅か入れたことは、それこそ内緒の話である。

 どこぞの麺か。そんなことはどうでもいいし、分かったところでそれほどの意味はない。細く、まっすぐな麺。軟くもなし、硬くもなし。丁度良い、という奴だ。

 白菜メインの炒め野菜。驚くことに餡は極めて弱い。かかっていない、と感じるほどだ。木耳なんかもデカい。蒲鉾なんてのもある。嬉しいことに、豚肉のほかに、いかにも「広東風」というべき叉焼きの端切れがあった。旨い。これは本当に旨い。次に来ることがあれば、それはもう叉焼麺しか頼まない。

 
 しかし、だ。

 辨麺。バンメン、である。広東麺あるいはウマニそば、に酷似しているが、そうではなくて、辨麺、なのだ。ほぼ横浜の、古くからある中華料理店にのみ存在する。無論、先日紹介した日本橋の 中華料理 大勝軒 や小田原、長野県などにも数店あるが、ラーメン界の「絶滅危惧種」と、いう人もいる。

 いつのころに、だれが考案し、メニューに載せたのだろう。我が国で最も歴史がある中国(中華)料理店が、横浜中華街にある 聘珍樓 横浜本店 (創業1884年、明治十七)は、コース中心の高級店。単品メニューには辨麺は、ない。が、以前はあったとの話もある。ただ、いつから提供され、どのくらい前にメニュー落ちしたのかは、記録がない。

 横浜にはもう一つ名物中華がある。そう、「生碼麺(サンマ―メン)」。こちらは、1918年(大正七)創業の、伊勢佐木町 玉泉亭 本店 か、あるいは 聘珍樓 横浜本店 か、発祥の店はどちらかであり、となれば、戦後すぐか、あるいは1930年(昭和五)あたりからメニューに載ったと考えることができるのだ。

 ところが、辨麺は一切の発祥の記録が、ない。少なくとも、ネット上には全く、ない。

 興味深いことがある。先ほどの 玉泉亭 本店 にも辨麺は、ある。しかも広東麺とは別に、だ。石川町にある、創業は1910年(明治四十三) 旭酒楼 、にもかつて辨麺があったそうだ。

 この二店は中華街からさして遠く、ない。

 中華街と隣り合わせの元町から山手と麦田を結ぶ、少し上った坂の、トンネルを抜け本牧方面に歩いてみよう。

 まず、奇珍楼 が目に入る。辨麺は、無論、ある。奇しくも創業は 玉泉亭 本店 と同じ1918年。

 さらに進む。 三渓楼 。バンメン、七百五十円也。ただし、外観は相当古く見えるが、創業は1952年(昭和二十七)と比較的新しい。といっても、創業六十年以上は立派な老舗だ。

 そして、本牧通りからほんの少し入ったところに、この店は、ある。・・・ 百年余。一世紀以上。この横浜の、本牧近くのこの場所で、街を変貌を見続けたこの店。関東大震災も、太平洋戦争も潜り抜けて。さて、どれほどの客がこの店の扉を開け、この店の中華料理に舌鼓を打ったのか。本店、とあるが、支店はとうに閉じたそうだ。

 この店の創業は、1908、年。明治四十一年(一説には大正元年)のことである。あるブログには、こう、書かれていた。・・・戦前には中国から多くの料理人がやってきて、ここで修業をして市内各地に散って行った・・・

 かつて辨麺を提供していた、人形町の大勝軒(現在は喫茶店)ですら、創業は1910年。今も辨麺を提供している、この店より古くから営業している店を、ボクは知らない。

 ♪なんでも知ってる
 古時計
 おじいさんの時計

 百年いつも動いていた
 ご自慢の時計さ・・・

  tick, tick, tick, tick,
But it stopp'd short, never to go again.♪

 だけれど、主が代わったこの店の、大きな柱時計は、現役だ。
 でも。時計に辨麺のことを聞いても、何も、言わない。小さな音を立てて、振り子が、揺れる、だけ。




 ※【蛇足。本当の蛇足】

 何気なく、食べている途中にメニュー表を手に取って、パラパラとめくってみた。最近、新たに手書きされたようなメニュー表。

 二頁に渡って書かれた「湯面(ママ)」類には、辨麺あるいはバンメン、の文字は消えて、いた。他の頁にも、店内の掲示にも、それは、なかった。だから店の女性は「ありますよ」と言ったのだ。メニューには、ない、からだ。

 RDBの前回の方のレヴューは3月。その時のメニュー写真には「カニソバ」の下に、バンメンはあった。だから、この半年の休業中に、消えた。ちなみに 玉泉亭 本店 同様、この店の3月のメニューには、バンメンとは別に広東メンがある。

 それでも。これを読んだそこの貴方は、堂々と、こう頼もう。

 「バンメン、ください」。

 そうでもしないと、明治のころから脈々と続く辨麺は、本当に絶滅してしまうかも、知れない。

投稿(更新) | コメント (9) | このお店へのレビュー: 1件

コメント

これがバンメンですか。
きっとこれは好きなヤツです。
しかし創業1908年とは凄いですね。
食べてみたいなぁ

NORTH | 2016年11月22日 07:47

じっちゃん、こんにちは〜。
バンメンを基とした短い小説のような文章がグッと来ますね。心に沁みます。

コバト | 2016年11月22日 13:59

こんにちは

辨麺って知りませんでした。
広東料理の麺の一種みたいですね。
お店によっても具材がかなり違うようで
五目そばや広東麺との違いも?
勝手な推測ですが、広東料理の辨麺の名前を日本風に変えたのが
広東麺や五目そばのような気がしますね。

mocopapa(S852) | 2016年11月22日 17:21

こんばんは!

色々追って行くと、やはりシンプルな物に戻って行きそうな気がします。私も、、、。

Hiroshi | 2016年11月22日 21:09

こんばんは。
遂にメニューから消えてしまったんですね~
保護運動を起こさないと本当に絶滅しそうですね。

kamepi- | 2016年11月22日 22:18

こんばんは!

横浜でラー食をしている身としては「絶滅危惧種=辨麺」は食べておかねば、
と思うようになりました。まずは取扱店検索!

尼茶(血圧やや良化^^;) | 2016年11月22日 22:22

店内の光景、音声の描写、
本日もお見事でございます。
辨麺、なにやら色んな解釈をされて、
いろんな形で残ってはいるようですが、
このお店のヤツ、魚介の具材が大きくて、好きですねー、こういうの。
絶滅とみるか、変質を経て生き残るとみるか・・・。

GT猫(ひっそり活動中...) | 2016年11月23日 12:33

こんばんは。

バンメンなるものがあるとは知りませんでしたね~
広東麺や五目そばとどう違うのか興味津々です。
食べてみたいですが、場所が…

ぽんたくん | 2016年11月23日 19:44

塩ニボたいわんぶるじっちゃん~さん。
はじめまして。

バンメン……コチラの店もメニューから消えてしまったんですか~
正に絶滅危惧種ですね。

でも、知る人のみぞ知るメニューとして残っていて良かったです。

いたのーじ | 2016年12月1日 18:57