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基本的にレギュラーメニューばかり食し、そのレビューを書く私。それは、(気に入った麺類ならば)自らが再食するためであり、私のレビューによってその対象となっている麺類への興味・関心を持ってしまうという、数少ない奇特な方々のためでもあります。しかし今回からは2週間超の期間供される限定メニューを食したならば、レビューを書くことにいたします。それならば、万が一私のレビューを読まれてその限定モノを食したくなった方にもチャンスはあるでしょうし。というわけで今回私が訪れたのが「吟醸らーめん久保田」で、注文したのは「吟醸らーめん鶏白湯」。12月の1ヶ月間だけ、それも夜のみ15杯限定という、期間も時間帯も杯数も限定のラーメンです。待っている間は店内に置かれた情報誌を読んでいたのですが、店主が麺の湯切りをされる際のみ注目。某ブログにて丁寧だという評価がなされていたので。で、実際に見た感想はといえば…、おおっ!確かに小さく、そして優しく丁寧に何度もテボを振られています。一般的によく見られるような大きく強い湯切りにはない、繊細でいて滑らかなタッチ。魅せられるものがあります。さしずめ視覚で味わうオードブルといったところ。スープ。一口啜ると、ラーメン好きを称する京都人なら誰もが想起するであろう「天一」的な甘めでモミジ感に溢れた鶏白湯であることに気付かされる。この店のレギュラーメニューのような様々な食材の旨味が反映され、なおかつオリジナリティーに溢れるものだと予想していたので、少し驚かされました。しかし二口、三口と啜る内にこれは断じて天一「インスパイア」ではなく、天一「ブラッシュアップ」と呼ぶのが相応しいのではないかとも感じさせられます。鶏と香味野菜がベースであることはおそらく天一と同じですが、雑味がなくクリアでいてクリーミー、濃厚でいて軽い飲み口はむしろとんぴととりの光龍益のラーメンを想起させるので。光龍益では鶏と豚皮(とんぴ)をベースに出汁がとられているのですが、吟醸らーめん鶏白湯の方は11月限定だった「吟醸つけ麺鶏白湯」(私は未食。というか、最終日に食べ損ねた…)と同様に背脂や豚足等が用いられているのかもしれません。ただ天一から「アレ」や「コレ」やが引き算されているというだけではこの「軽い濃厚感」は出せないでしょうし、800円という価格も考え難い。レギュラーメニューと同様、様々な食材が用いられているのでしょう。ともかく、甘めの鶏白湯にありがちやや単一的なきらいこそあれ(卓上の胡椒や一味である程度カバーできます)、クリアな鶏の旨味に溢れる美味いスープだと感じられました。麺。加水率低めのストレートです。一口目からしっかりとスープを絡めていることが「味認」できる、完全奉仕型の麺。しかし京都におけるこの類の麺にありがちなパターンである、カンスイ臭さやフニャフニャした噛み応えによってネガティブな意味での存在感を示すことはありません。そうかといってはなふくの「鶏とんこつラーメン」や「鶏とんこつ(煮干し)」の麺のように、スープを表面に馴染ませながらも食感によって自己主張するタイプでもない。そう。完全に姿を「消している」のです。いなくなって初めてその存在の大きさだったりありがたみだったりを認識させてくれる人がいることは我々も各自の経験則で知るところですが、この麺は「そこにいるのに、いない」というややトリッキーな「不在」の仕方により、逆説的にその「存在」の色を濃くしています。全てはスープの旨味のみを運ぶため。一見どこにでもありそうでいて、実はタスクを果たすための「自己管理」を怠ることのない「プロ意識」の高さを持つ、優れた麺なのだと感じられました。いや。この麺が濃厚でいて軽い白湯スープに合わせられたことが素晴らしいといえましょうか。具。チャーシューにネギ、半熟煮玉子です。チャーシューは薄いものが2枚。しかし京都のベテラン及び中堅ラーメン店で度々食すことがある、中途半端な肉の旨味しか有さないタイプのものではない。表面の香ばしさと内側の肉の旨味が、濃いスープとの相性を考慮されてのことか、ささやくように優しく口内に広がるテイストです。これは美味い。半熟煮玉子もまた、黄身の旨味が存分に味わえる素晴らしい箸休めとしての存在感を有します。余談。カウンターと厨房の仕切りの上に置かれた「肉味噌らーめん」と「吟醸味噌つけ麺」用の胡麻ラー油。終盤に「遊び」でこれをかけて残りのスープを頂いてみました。ははは…。全然合いません(当たり前)。真似をなさらないように。「吟醸らーめん鶏白湯」。レギュラーメニューのようにオリジナリティーに溢れたものではなく先達追従型でありながらも、店主のセンスが光る洗練された一杯です。臨時休業である本日12月20日夜と火曜の定休日を除けば、これを食せるのは年末年始の休みに入る30日まで。天一が好きであろうと嫌いであろうと、あのテイストを知る人ならば一度は食していただきたいですね。
しかし今回からは2週間超の期間供される限定メニューを食したならば、レビューを書くことにいたします。それならば、万が一私のレビューを読まれてその限定モノを食したくなった方にもチャンスはあるでしょうし。
というわけで今回私が訪れたのが「吟醸らーめん久保田」で、注文したのは「吟醸らーめん鶏白湯」。
12月の1ヶ月間だけ、それも夜のみ15杯限定という、期間も時間帯も杯数も限定のラーメンです。
待っている間は店内に置かれた情報誌を読んでいたのですが、店主が麺の湯切りをされる際のみ注目。
某ブログにて丁寧だという評価がなされていたので。
で、実際に見た感想はといえば…、おおっ!確かに小さく、そして優しく丁寧に何度もテボを振られています。
一般的によく見られるような大きく強い湯切りにはない、繊細でいて滑らかなタッチ。魅せられるものがあります。
さしずめ視覚で味わうオードブルといったところ。
スープ。
一口啜ると、ラーメン好きを称する京都人なら誰もが想起するであろう「天一」的な甘めで
モミジ感に溢れた鶏白湯であることに気付かされる。
この店のレギュラーメニューのような様々な食材の旨味が反映され、なおかつオリジナリティーに
溢れるものだと予想していたので、少し驚かされました。
しかし二口、三口と啜る内にこれは断じて天一「インスパイア」ではなく、天一「ブラッシュアップ」と
呼ぶのが相応しいのではないかとも感じさせられます。
鶏と香味野菜がベースであることはおそらく天一と同じですが、雑味がなくクリアでいてクリーミー、
濃厚でいて軽い飲み口はむしろとんぴととりの光龍益のラーメンを想起させるので。
光龍益では鶏と豚皮(とんぴ)をベースに出汁がとられているのですが、吟醸らーめん鶏白湯の方は11月限定だった
「吟醸つけ麺鶏白湯」(私は未食。というか、最終日に食べ損ねた…)と同様に背脂や豚足等が
用いられているのかもしれません。
ただ天一から「アレ」や「コレ」やが引き算されているというだけではこの「軽い濃厚感」は出せないでしょうし、
800円という価格も考え難い。
レギュラーメニューと同様、様々な食材が用いられているのでしょう。
ともかく、甘めの鶏白湯にありがちやや単一的なきらいこそあれ(卓上の胡椒や一味である程度カバーできます)、
クリアな鶏の旨味に溢れる美味いスープだと感じられました。
麺。
加水率低めのストレートです。
一口目からしっかりとスープを絡めていることが「味認」できる、完全奉仕型の麺。
しかし京都におけるこの類の麺にありがちなパターンである、カンスイ臭さやフニャフニャした噛み応えによって
ネガティブな意味での存在感を示すことはありません。
そうかといってはなふくの「鶏とんこつラーメン」や「鶏とんこつ(煮干し)」の麺のように、
スープを表面に馴染ませながらも食感によって自己主張するタイプでもない。
そう。完全に姿を「消している」のです。
いなくなって初めてその存在の大きさだったりありがたみだったりを認識させてくれる人がいることは
我々も各自の経験則で知るところですが、この麺は「そこにいるのに、いない」というややトリッキーな
「不在」の仕方により、逆説的にその「存在」の色を濃くしています。
全てはスープの旨味のみを運ぶため。
一見どこにでもありそうでいて、実はタスクを果たすための「自己管理」を怠ることのない「プロ意識」の
高さを持つ、優れた麺なのだと感じられました。
いや。この麺が濃厚でいて軽い白湯スープに合わせられたことが素晴らしいといえましょうか。
具。
チャーシューにネギ、半熟煮玉子です。
チャーシューは薄いものが2枚。
しかし京都のベテラン及び中堅ラーメン店で度々食すことがある、中途半端な肉の旨味しか有さないタイプの
ものではない。
表面の香ばしさと内側の肉の旨味が、濃いスープとの相性を考慮されてのことか、ささやくように
優しく口内に広がるテイストです。
これは美味い。
半熟煮玉子もまた、黄身の旨味が存分に味わえる素晴らしい箸休めとしての存在感を有します。
余談。
カウンターと厨房の仕切りの上に置かれた「肉味噌らーめん」と「吟醸味噌つけ麺」用の胡麻ラー油。
終盤に「遊び」でこれをかけて残りのスープを頂いてみました。
ははは…。全然合いません(当たり前)。
真似をなさらないように。
「吟醸らーめん鶏白湯」。
レギュラーメニューのようにオリジナリティーに溢れたものではなく先達追従型でありながらも、
店主のセンスが光る洗練された一杯です。
臨時休業である本日12月20日夜と火曜の定休日を除けば、これを食せるのは年末年始の休みに入る
30日まで。
天一が好きであろうと嫌いであろうと、あのテイストを知る人ならば一度は食していただきたいですね。