ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さんの他のレビュー
コメント
コロナ禍でしぶとくずっと営業してました。
酒が飲めなかった時節だったのでスルーしてしまいましたが
またこちらで止まり木気分で楽しみたいものです。
気分はすでにラーメンよりも飲みメインですが。
いつか酒酌み交わしたいですね!
とまそん@ラーメン食べて詠います | 2021年11月21日 15:50世界貿易センターを初めて見上げた時は本当にビックリしましたが、ニューヨークのワールドトレードセンターを間近で見た時は、こんな国と戦争しても勝てる訳ないよなと思いました。もうすぐ日本一高いビルが丸の内に建ちますね。
NORTH | 2021年11月21日 16:21どもです。
何度もお世話になってますが、一度もランチでは
行ってませんね😅
いつもベロベロのときです(笑)
ラーするガッチャマン(通院中) | 2021年11月21日 18:18ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さん、こんばんは。
新宿駅北西にこんなお店があるんですね。
変に今風にアレンジされていない、昔ながらの町中華の味噌って感じが良さげ。
お値段も控えめで嬉しいところ。
コロナ禍が(一時的かもしれませんが)収束しつつある今なら都内へ行くのもありかなあ。
ぬこ@横浜 | 2021年11月21日 18:45こんばんは。
しょんべん横丁ですね。
90年代中盤から8年ほど西新宿で働いてたので
よく都庁や他の高層ビルの飲食店使ってましたw
ちなみに母方の実家も淀橋浄水場あたりで地上げにのっていつの間にか
高層ビルが建ち、気付いたらそのビルに働いてたっつぅ因縁深い街、懐かしいです。
プリティ | 2021年11月21日 19:12こんばんは。
学生時代、バイトで真新しいセンタービルに通い
西新宿のビル群をよく見てましたが、当時見えたのは
隣の三井ビルと京プラ(住友ビルは三井の陰で
見えなかった)、完成間近のNSだけだったのを
思い出します。
岐阜屋は数年前久々に行きましたが、インバウンド客が
たくさん居たしたよ。
としくん | 2021年11月21日 20:03こんばんは。
高層ビルラッシュの時代てありましたね~
特に貿易センタービルは近くだったんで鮮明に記憶に残っています。
そのビルが取り壊されるとは、一つの時代の終わりを感じますね。
kamepi- | 2021年11月21日 21:33こんばんはぁ~♪
私が東京に出てきたのは1972年ですから、高層ビルラッシュのちょっと前で
田舎じゃ考えられないビル群にびっくりしたことを覚えています。
岐阜屋さんはもう30年くらい行っていません。
ヨッパの時なのでよく覚えていませんね(笑)
今日、喜多方・会津遠征から帰ってきて、自宅でゆっくり飲んでいます🍶
mocopapa | 2021年11月21日 21:55こんばんは。
私的な脳裏は未だにしょんべん横丁ですねぇ。
此方は未訪なんですが、そう呼ばれていた昔々。
何処かのホルモン屋に何度か行きました。
ヨドバシカメラのヨドバシは、
確か淀橋浄水場の淀橋でしたよね。
↑モコさん方と喜多方・会津に行って来ました。
郡山駅では、コロナ禍直前に御一緒した事も、
懐かしく思い出しましたよ。
それではまた。
おゆ | 2021年11月21日 22:22こんにちは〜
新宿の高層ビル街は小さい頃は異世界のようで怖かったです。
『蘇える金狼』はロードショーか何かで軽く見ただけなので、今度確り見てみます♪
銀あんどプー | 2021年11月22日 13:44こんにちは。〉未来にかけての期待感に溢れていた。そのような時代から始まった店なんですね。レビュー読みながら店構えを想像しました。読み終わって外観写真を見たらイメージとおりでした。こんな店でちょい呑みしてから味噌ラーメン喰いたくなりましたよ。また、高層ビルの歴史も楽しく拝読させて頂きました。
いたのーじ | 2021年11月22日 17:24タンメン頼まなかったんですね。
ここのタンメンは好きですが
もっぱら夜訪問がメイン。
麻婆豆腐と木耳の卵炒めがおすすめです。
ビール、焼酎、ハイボールと共に
YMK | 2021年11月24日 12:08こんばんは!
「変わっていたのは、周囲だけ」沁みますね…
この界隈だけは、戦後から変わらなさそうです。
こちらのお店、チョット前にテレビに出てましたよ。
あひる会長 | 2021年11月24日 18:58こんばんは
ビルの話をじっくり読みました。
サンシャイン60は見に行って見上げてビックリした思い出です。
そして友達に自慢してたなぁ^ ^
どんどん時間が過ぎていきますね。
あらチャン(おにぎり兄) | 2021年11月29日 17:03
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
チャーチル・クロコダイル
一日三食ラーメン
ビバ三多摩
やっぱりネコが好き






ノスタルジックラーメン紀行SeasonⅣ 第5回
~西新宿超高ビル街の小さな物語~
遠くで切ない音色のギターが啼いていた。
やがてそれとともに擦れて途切れるような初老の男の声が、ゆっくり風に乗って流れてくる。
いつもの、日常の、出来事。
♪君が吐いた白い息が 今ゆっくり風に乗って
空に浮かぶ雲の中に 少しずつ消えてゆく
遠く高い空の中で 手を伸ばす白い雲
君が吐いた息を吸って ぽっかりと浮かんでる
ずっと 昔の ことのようだね
川面の上を雲が流れる♪
『深夜食堂』。
ドラマや映画の舞台は新宿駅を挟んだ東口の花園、ゴールデン街であるが、此処西口思い出横丁も少し似通った雰囲気の街。ゴールデン街は少しアカデミックな香りがするが、こちらは駅に近いせいか、ずっと大衆的な匂いがする。
そして、この街の一角から初冬の空を見上げれば、かなり先まで天を衝くようなビルが続く。
此処はまるで高い山々が連なる山脈の麓にあるようだ。
・・・その店は、新宿西口に初めて超高層ビルが現れる24年も前から西新宿の街を見続けてきた。店にはなぜか横丁内の狭い通路からとJRの高架側からとの二か所の出入り口がある。どちらかの入り口から入っても、奥に行くには店の真ん中にある階段が行く手を阻む。変な外観と内装だが、これは開業後に増築したからだという。
平日の正午前。
そんな状況なぞまるで関係がないように、今日も呑兵衛が集まる。コロナのための緊急事態宣言が明け、酔いどれたちがマスクを外してコップ酒を煽る。ボクは体調を考えてアルコールは控えて、味噌ラーメン、である。
くたくたになった野菜でも、なんだかインスタントの袋麺のスープを連想させる味噌のスープでも、妙に軟い麺でも、此処で食えば旨い。いや、旨い、と言えるような気がする。麺に至ってはこの場所で製麺するわけではないが、自家製なのである。
ここはまるで、まさに昭和。それもボクが生まれた数年後、昭和30年代後半のイメージで、それからたった半歩すら進んでいない店内とその周辺。久々に来て此処で食ったラーメンは、ボクの記憶をタイムマシンに乗せた如く、半世紀も遡る。いや、記憶を通り越し、もっと以前の、書籍などで知っただけの昭和21年ごろにボクを導く。
一帯が焼け野原となったままの頃、人々はようやく前を向いて生活を始めようとしていた。もうB29は飛んでこない。空襲警報に怯えることがなくなった。何より、人々の手の中には”自由”とか”平等”という、かつてこの国がたった一度も手にしたことのない、目に見えないが、確かな希望に満ち溢れたモノがあった。戦争によって、アメリカ軍に木端微塵に叩きのめされた。街を焼かれ、挙句占領されたこの国は、そのときは満足に喰うことさえ叶わなかった時代であった。それでも人々の心の中には、長く深い暗黒の穴倉からようやく這い出したという安堵感と、これから向かう未来にかけての期待感に溢れていた。
・・・そんな時代、1947(昭和22)年、この店が生まれた。※一説に1946年創業。
そんな希望や期待の象徴、になったとは言えないかも知れないが、おそらくこの手の商店街は、人々の日々の暮らしとその先にある身近な未来を、僅かながら明るく照らす存在になったはず。
戦争に負けた国民の多くは、一日でも早く復興を果たそうと寸暇を惜しんで働いた。自らの生活を豊かにしよう、この国をまた世界の一流の国にしよう・・・働き蜂の如く猛烈に仕事に励んだ。結果、日本は高度経済成長期を迎えることになる。
その最中の1968(昭和43)年、まさに高度成長のそのシンボルとなる建築物が東京に完成した。日本初の百メートル超の高さを誇る「霞が関ビル」、である。地上36階の建物だ。
戦前、日本で高層建築(高層ビル)と言えば浅草の凌雲閣(1890年、52メートル)が知られていた。その後、日本橋の三越本店(1935年。7階建て、60メートル)、国会議事堂(1936年。9階建て、65メートル)が建てられたが、百メートルには遠く及ばない。戦後にしても、1964(昭和39)年竣工のホテルニューオータニ本館(17階建て、73メートル)が最高であった。建築基準法などが改正されたこともあって、霞が関ビルは建築されたのだ。その高さは百メートルを大きく超える156メートル、多くの人々の度肝を抜いたものだ。しかしその僅か2年後の1970(昭和45)年、浜松町駅前に世界貿易センタービルが竣工し、霞が関ビルを下に見た。高さ160メートル超、40階建てである。
ボクはその頃、小学生高学年になっていたから、二つのビルのことは覚えている。霞が関ビルにしても貿易センタービルにしても、なんだか「21世紀」を予感させる、未来的な建物だった。
さて、新宿西口。モーレツに働き続けた日本人は少し疲れ始めたころ、1898(明治31)年から東京の水がめとなっていた淀橋浄水場の移転を契機に、東京の、いや、日本の超高層ビル中心エリアは新宿駅西口に移った。貿易センタービルが竣工したその翌年、新宿初の超高層ビル・京王プラザホテルが開業した。1971(昭和46)年のことで、、高さは179メートルの47階建て。3年後の1974(昭和49)年春には住友三角ビル(52階建て、210メートル)が完成、日本初の「200メートル超え」を達成したものの、その半年後には三井ビル(55階建て、225メートル)に追い越された。
以後、この街は、日本の未来都市的街区として人々に認知されていく。1970年代から80年代にかけて建てられた30階以上の超高層ビルは、
・KDDIビル(1974年、32階、164メートル)
・安田火災海上ビル(現・損保ジャパンビル。1976年、40階、200メートル)
・野村ビル(1978年、50階、210メートル)
・新宿センタービル(1979年、54階、223メートル)
・京王ブラザホテル南館(1980年、35階、139メートル)
・新宿NSビル(1982年、30階、134メートル)
・ヒルトン東京(1985年、38階、130メートル)
・エルタワー(1989年、31階、124メートル)
この間の1978(昭和53)年、池袋にサンシャイン60(240メートル)が開業、西新宿超高層ビル群からトップを奪い、10年以上にわたって文字通りの「日本最高」ビルとなっていた。
しかし1991年3月、西新宿ビル群が高さ日本一を奪回した。その背景にはバベルならぬ『バブルの塔』とも揶揄されたように、バブル経済に踊らされた影響も間違いなくあった。東京都庁第一庁舎、である。階数こそサンシャイン60には劣る48階建てではあるが、高さは3メートル上回る243メートルである。
ボクは仕事上、有楽町のボロボロの、汚いという以上にその狭さと乱雑極さに閉口した庁舎に何度も通ったから、早く建て替えしないかと願いっていた。そして新宿の新都庁舎にも落成後すぐに出向いた。地上34階、高さ163メートルの第二庁舎と並ぶその姿は、超高層ビルが並ぶ西新宿の中でも、他を圧倒していたように思う。新都庁舎が完成する前、やはり仕事で何度も行っていた旧安田火災海上ビルが下に見えたことは、今でも鮮明な記憶の中だ。
・・・あれからもう、ちょうど30年。高さ日本一のビルの座は、都庁落成から2年後には横浜のランドマークタワーに奪われた。東京一の高さも、虎ノ門ヒルズ 森タワー(2014年、52階、255メートル)に譲った。日本の超高層ビルの先駆けとなった霞が関ビルも、そのあとに続いた貿易センタービルも、建築後50年が経った。貿易センタービルに至っては、建て替えのために今年6月、その営業を終えてしまったのである。
新宿西口の超高ビル街。こちらももう、今はノスタルジーで、レトロなビルが多くなったそうだ。
そりゃあ、あそうだ。新宿の空に京王プラザホテルが一番近づいた時から、丁度半世紀。
亡き松田優作主演の映画『蘇える金狼』のラスト近く。主人公・朝倉哲也は、手に入れた当時のスーパーカーの代名詞ランボルギーニ・カウンタックで西新宿のビル街を走り抜けた。京王プラザホテルや住友三角ビル、新宿三井ビルなど、まだ数棟のビルだけが我が物顔で新宿の街を見下ろしていた。その映画の公開は1979(昭和54)年8月のこと、もう40年以上も経ったのか。還暦を過ぎてしまったボクには、ずっと昔のことようだ。
松田優作が主演した映画で共演していた俳優たち。千葉真一、成田三樹夫、小池朝雄、佐藤慶、阿藤快、草薙幸二郎、岸田森・・・いずれも個性派の俳優たちで、もう鬼籍の人ばかりだ。だから霞が関ビルも貿易センタービルも、新宿初の超高層ビル・京王プラザホテルの開業時の喧噪の思い出も、川面に浮かんだ雲が少しずつ流れていくように、やがて消えてゆく。
♪照り返す日差しを避けて 軒下に眠る犬
思い出もあの空の中に 少しずつ消えてゆく
この空の向こう側には もう一つの青い空
誰もいない空の中に ぽっかりと浮かぶ雲
ずっと 昔の ことのようだね
川面の上を雲が流れる♪
曲:思ひで 唄:鈴木常吉 (ドラマ・映画「深夜食堂」テーマ曲)
作詞・作曲:鈴木常吉、原曲:Pretty girl Milking a Cow、アイルランド民謡
特徴ある擦れるような声で唄った鈴木常吉氏は、もうこの世にいない。昨年(2020年)の七夕の前日、食道がんのため、ぽっかりと雲が浮かぶ誰もいない空に昇っていってしまった。65歳であった。
・・・街はまるで生き物のように、その姿を時間とともに変えていく。焼け野原になったこの地で、人々の逞しい力によって命を吹き込まれたこの店は、西新宿の街の変遷を実に七十年以上、見続けているが、店自身は、おそらくほとんど変わっていないのだろう。変わっていったのは、周囲だけ。おそらく、何年も先も同じことを繰り返す。
そして、今日もこの店は新宿の、超高層ビルに埋もれた空を、静かに見上げている。