コメント
確か、蓮爾 登戸店 は
KMさんのレポでBMした記憶があります。
いまだに、お邪魔できておりませんが、
いつか必ず伺いますね。
※KMさんは、やはり蓮爾がお似合いです(^^)
YMK | 2015年10月15日 09:19こんにちは!
こちらはRDBを始めてからは
未訪です、
以前は年に6〜7回食べに行ってました
また、行きたいです!
相変わらずな感じですね〜
eddie | 2015年10月15日 12:28こんばんは〜♪
>最終回はきっと蓮爾だと思う。
KMさんにここまで言わせしめるお店も興味深いですね。同時に蓮爾への深い愛を感じます。
私も地球最後の日が来るとすれば、間違いなくラーメン二郎 横浜関内店に並んでいることと思います・
人類兼麺類 | 2015年10月15日 19:57こんばんは。
ハスミ、久しぶりですね~。
私も振り返ってみましたが、1回/年のペースの訪問だったのでもう少し増やしたいです。
私の最後の一杯もこちらですね。
pvs aka duff | 2015年10月18日 01:56◆YMKさん
コメントありがとうございます。
人には好みがありますからね。
よく考えて決断してください(笑)。
◆eddieさん
コメントありがとうございます。
そうですか。
以前行かれたのですね。
味は少し変わってきているかもしれません。
私はもうつけ麺しか食べないのですが、一度食べてみてください。
以前より良く〆てますので、硬いですよ。
KM | 2015年10月20日 08:45◆人類兼麺類(遠方へ転勤中)さん
コメントありがとうございます。
>同時に蓮爾への深い愛を感じます。
そうかもしれません。
いろいろなものを食べてきましたが、ここは想定外でした。
二郎にはないものが良かったです。
ここの元のご主人の性格もすごいと思いました。
細かいことは気にしないのです。
二郎に楽しさを加えた感じでした。
関内もいい店ですね。
結構通いました。
◆pvs aka duffさん
コメントありがとうございます。
>私も振り返ってみましたが、1回/年のペースの訪問だったのでもう少し増やしたいです。
最近は似たようなものです。
でもいつも行きたいな、と思い出すのです。
KM | 2015年10月20日 08:56ご隠居、こんばんは。
この凄いレポにどう対応していいか、考えました。
でんぷんの旨さについても科学的な説明について、
なにか考察でもと思ったのです。
例えば、となるとさんこま(新町一丁目)の麺はこうですねとか。
残念ながら、学校の教科で最初に脱落したのが化学。
モルでわからなくなりました、高校一年。
それでも、このような観点で少し麺というやつを見つめていけたらなという
視点を示していただいたことを貴重な機会と。
また、一杯にかける想いが、果てしなくというのも感じます。
だらだらくらっていると怒られそうです。
それにしても、巻ちゃー凄いですね。
30分以上前でも、食らえなくなったんですかね。
その人気に応えないのが、あの店主のいいところといえば。
赤字ですからね、想定される手間と原価を考えると。
それから、ハスミに行く回数、年一。
遠ければそうでしょうが、近いと。
私も大分足が遠のき始めました。
今年になって、月2回から、1回、2月おきとなってきました。
このような強烈なものを食べ続けるのは厳しい歳になってきました。
といいつつ、中本、北極、冷やし味噌をよく喰らい始めたので、
ただ飽きただけといえばそうなんですが。
正直、できれば本家のほうにもうちっと行きたいのです。
こっちのが旨い気はするのですが。
やはり、創業者は違うというか(^^;
遠いですが、そちらにも行ってください。
ちょっと、あったみたいですが。
相変わらず、とぼけた店主ですけどね。
この理先輩 | 2015年10月21日 20:32◆この理先輩 さん
コメントありがとうございます。
最近スーパーの麺類、コンビニの麺類が劇的にうまくなってきてます。
昔と全然違います。
ちゃんとした腰を残しているのです。
普通は均一化、すなわち伸びているはずです。
これは糊化が進んでいるからです。
これを防ぐ技術が開発さているのですね。
インスタントラーメンも劇的に美味くなっています。
企業はサイエンスとして麺を扱っている時代です。
一方ラーメン店はまだ職人の世界です。
それは逆に素晴らしいのですが、世の評論家はいまだに言葉遊びの世界です。
消費者もそれを踏襲してます。
同じ物にどのような姿勢で臨むのか。
それが重要で、ネットやメディアの影響を受けてはいけません。
大事なことは自分で勉強して考えないと。
そういう人を増やしたいのです。
そういえば、久しぶりに川崎二郎に行ってきましたよ。
偶然というより、同じような感覚の人がいるのですね。
ぜひ三田に行ってください。
そこには食の楽しみという原点があるはずです。
結局あらさがしをしなくても済むような、好きなものを食べればいいのです。
KM | 2015年10月22日 09:14KMさん、こんばんわ。
圧巻のレビューですね。
私は、αでもβでも、そこそこ評価を下してしまう、ここで言うところの現実主義者なのかもしれません。拝読して、学生時代に読んだ小林秀雄を、もう一度精読したくなってしまいました。
現実主義でなく、もっと好き嫌いに立脚して語るべきなのかもですね。
明快な「好き」に立脚した蓮彌のKMさんのレビューが光るのは、そういうところから来るものだと、改めて思い知りました。
とまそん@ラーメン食べて詠います | 2015年10月29日 21:22◆とまそん@ラーメン食べて詠います・・さん
コメント、ありがとうございます。
けして体調がいい朝ではないのですが、コメントを読ませていただいて
元気が出てきてます。
コメントをいただいてうれしいのは、どのようなものでも同じですが、
特に内容を良く読んでいただいているというのが、一番うれしいです。
特に言いたいところのコメントですね。
この文章も最初はすぐ原稿を書いたのですが、どんどん長くなってしまい、急に終わらせました。
ただ食べた話を書くのは少し飽きたので、毎回気がついたことも書いてしまいます。
もっとダイレクトに書くと、本が書けてしまうのですが、
簡単な短い言葉で、人間にとって大事なことを表現できるといいと思っています。
KM | 2015年10月30日 07:30
KM
スージーのなのなQ
NoonNoodle

猫のブッキー
田畑 公崇





◆小麦粉の麺(デンプンの話)・・わりと本気の回
今日は秋晴れ、日本晴れである。
町田の友人と駅で待ち合わせ、向ヶ丘遊園に。
完全に小学校の時の秋の遠足気分である。
友人が巻ちゃぁを食べたいと言うことなので、早めに出た。
店の前には開店40分前に到着。
しかしながら・・・
すでに11人の方が開店を待ちわびていた。
これには驚くとともにガッカリした。
たま小つけ麺豚入り(やさい、あぶら):http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/229140161?size=1024#content
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/229140164?size=1024#content
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/229140169?size=1024#content
久しぶりの小。そのままで、麺マシも少なめもなし。
370gには見えない。
麺の高さからだと450gはありそうだ。
巻ちゃぁはないが、味のしみ込んだ豚で満足である。
友人は二郎系は初めて。
心配なので、麺少なめをすすめていた。
それでもかなりある。
すごく頑張っていて、私より早く食べ終わった。
おみごと。
そういう私は奥歯を片側3本失っていて、咀嚼力が以前の50%になってしまっている。
小でもなかなか手ごわかった。
店を出るとすがすがしい湿度の低い風が吹いている。
あー食った、食ったと言うのにピッタリの空。
秋は遠足。
RDBへの初回投稿の原動力は蓮爾だった。
自分が書く価値があると思ったからである。
味というよりも、個としてのその存在方法が気に入ったからである。
美味い、不味いとか評価、点数は二次的な問題である。
最初の頃、二郎系の投稿が多いのは、そういう理由からである。
なぜその山に登るのか。
永遠の命題である。
大事なのは理由ではなく、それを駆り立てる生きる力であろう。
今生きているという、宇宙の歴史規模の奇跡を常に噛みしめたい。
そして必ずRDBに投稿しなくなる日がくる。
最終回はきっと蓮爾だと思う。
------------------------------------------------------------------
このつけ麺にこだわって食べ続けているが、理由は肉意外に二つ。
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/229140178?size=1024#content
第一は麺。第二は汁。
汁については過去に何回も書いているが、醤油と糖分でできている江戸風のカエシが好きだからである。
蓮爾に来る必然性は、やはり麺だろう。
http://photozou.jp/photo/photo_only/286324/229140173?size=1024#content
こういうラーメンの麺は他にない。
二郎とは全然違うからいいのだ。
芯を少し残した太い麺。
そして伸びにくい。
急冷した麺は、モグモグ一生懸命食べないと呑み込めない。
腕も腱鞘炎直前である。
この食い応えがタマラン。
麺類は大好きだが、たまに太い麺や幅広の平打麺が無性に食べたくなる。
蕎麦も、文京区湯島の古式そばが大好きだし、ラーメンも縦横比が大きい物が食べたくなる。
うどんでも吉田うどんのつけ麺で、一番硬いのが食べたくなる。
硬いことはありがたいことなのだ。
細い麺ももちろん大好物で、こちらは毎日でも食べたくなる。
要はなんでも好きなんだ。
--------------------------
さて、
小麦粉の麺の食感の話になると、そのタンパク質、グルテン生成の話になる。これはタンパク質と水が一緒になってグルテンを作る性質による。
このグルテンの作る構造による粘弾性が、腰を生み出す。
グルテンがすべてのように思われているが、この傾向は、グルテンの性質がパンを作るのに重要だからだ。パン文化の影響である。
小麦粉の麺類の性質を表現したり、食のレポートする時は、腰以外に、食感を
モチモチとかグチ、とかグニュとか表現する。また、なめらかな表面の性質で喉越しとか舌触りと言って表現する。また芯があるとか硬いとか茹で過ぎとか、伸びたとか表現する。
腰については、グルテンの作る腰だけではなく、表面の粘弾性の特徴と、芯部分との差の大きさや、水分含量の差から生じるものが原因していると考えている。
これらの最も重要な性質は、タンパク質というより、実は炭水化物であるデンプンから来ている。
評論家の書いたものを見ても、グルテンはあっても、デンプンの話がない。
そこで、今回はマジメにデンプンの重要性をアピールする。
小麦粉の成分としてのタンパク質は、10%前後であるが、デンプンは実に70~75%も含まれている。
したがって、多くの食感はデンプンの問題として扱われないといけない。
そこで今回は記念すべき第一回目。
小麦粉で重要なのは:
1)アミロースとアミロペクチン
デンプンはこの二つで構成されている。
アミロースは直鎖状の炭化水素で、アミロペクチンは分岐していて分子量が大きい。
アミロースの割合が低いほど、粘りが出て、デンプンの劣化(老化)が遅くなる。
アミロース比率が少ないほどモチモチ感が出てくる。
タピオカでんぷんはアミロースが少ないので、モチモチ感を出すのに使われる。
2)糊化(α化)
これが小麦粉麺の性質を左右している。
蓮爾の麺の独特の触感は、表面と中心の糊化の差から来ているともいえる。
表面はα化していて、中心は一種の生煮え(生デンプン、βデンプン)とも言える。
パスタ類のアルデンテ状態も同様である。
身近では炊きたてご飯が、デンプンが糊化している例である。
生デンプンは結晶化していて(β化)、分子が規則的に配列している。
この状態では非常に消化されにくい。
水と一緒に加熱すると、水を吸収して膨潤していき、体積が増大する。
急熱ピークを過ぎると崩壊し始め、分子が分散するようになる。
更に加熱すると、ゲル化して糊状態となる。
吸水、膨潤、崩壊、分散という過程をたどる。これを糊化現象という。
α化とも言う。
α化する温度は概ね60度前後。
α化した後の現象としては、老化現象がある。
冷めたご飯の食感、パンが硬くなるのはデンプンの老化という。β化でもある。再結晶化とも言える。
これを防止するには、乾燥、冷凍、老化防止の物質の添加などがある。
コンビニおにぎりはこの技術を利用している。
なめらかな食感、モチモチ感、噛み心地などは、この糊化のコントロールによる。
ラーメンの麺を茹でるというのは、まさに糊化させているのである。
表面から糊化していき、丁度好みの不安定な状態で、糊化を中断する。
厳密に曖昧な状態を作り出すことになる。
茹でた後、急冷すると、糊化が一時的に中断する。
暖かいラーメンでは汁の中で糊化が進む。
そしてどんどん表面から吸水して糊化し、伸びて行くわけである。
これを加熱下で進めれば、完全に糊ができることになる。
要は、献身的に中間的不安定な状態を作り出すののが、ラーメン業界の技である。
-------------------------------------------------
デンプンのαとβの問題は、40数年前の大学の化学の授業で教えていただいた。
記憶に残る授業内容の一つである。
(余談ではあるが、大学で一番衝撃を受けた授業は、地学だった。
大陸移動の問題は、今や常識であるが、その当時は単なる仮説だった。
授業は一年間大陸移動の話だったが、立ち見も発生する人気授業だった。サイエンスはすばらしい。)
β状態だと消化に悪いと言われた教授の姿が、今でも度々現れる。
サイエンスにとって、入り口として大事なのは、やっぱり好奇心・疑問を持つことだと思う。
これも私の恩師である藤岡氏に、50年前に教えていただいた。
今でも大事に思う言葉である。さらに次のように教えていただいた。
サイエンスはさらに自分で仮説を立てる。
次に仮説を実証する実験や思考実験をする。
その結果により、また仮説を立てることを繰り返すのである。