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「さのいちラーメン+味玉(750円)」@麺屋さのいちの写真ミーハーだけど 2020新規開業新店巡り 其の五

 ボクはぶっちゃけ、佐野ラーメンはあまり好きでない。いや、10年ほど前までは好きだったのだが、ここ数年食べた店で、どうにもアブラが多くてね。家内の実家が佐野の隣町だから、結婚して暫くは年2~3回、毎年食べていたのだが、RDBに投稿を始めたこの13年では精々10店くらいしか行っていない。
 
 けれど。

 あらチャンさんが『皆さん是非是非食べに行ってあげて』と仰せだし、なによりナイショの話があるらしい。川口ならさして遠くないので、サッサと行ってナイショの話を確認してこよう。
 と思ったが、世間はそれほど甘くない。土曜ということもあるだろうが、開店時刻5分前に到着、三番目はいいとして、オープン時には10人ほど。さらにどんどんおいでになる。駅からはチョイ距離があるけれど、スーパーの前だし、買い物ついでにというお客さんもおいでのようだ。
 
 しかし。『マスク効果かかなり可愛い』女性スタッフはおいでだが、まあ、てんてこ舞いである。これでは話は聞けないよう~ それより、新規開業暫くは相当バタついていたようで、客が多いとチト心配。この日は少しだけのバタバタであった。

 さて、これ、佐野ラーメンを謳うのだが。そうなのだが。うーむ。という感じである。スープは透明ではなく濁ったものだし、麺は青竹打ちではなく菅野製麺のもののようである。もっとも佐野ラーメンの厳密な定義など存在しない。青竹打ちではない店、スープが透明でない店、佐野にはそんなラーメン店も存在するからな。けれど、栃木以外ではあまり食べることができない佐野ラーメンである。それを謳うなら、一般的というか、東京の人間が思い浮かべる「佐野ラーメン」のイメージで提供して欲しい、なんていうのは勝手というか、ボクの個人的な意見に過ぎない。

 スープは悪く言えばキレのない、素材を感じさせないもの。良く言えばまろやかで、飲みやすい。そうそう、あらチャンさんが『プロっぽいと言うよりも、家庭的でホッとする味わい。これもアリだなと』と書いておいでだ。納得、御意、である。

 卓上に卸にんにくがる。これは嬉しい。ただし入れすぎ注意、である。ボクは佐野に行ってラーメンを喰うとついニンニクを入れ過ぎて悔やんでしまう。

 麺は佐野らしい平打ちビロビロ。菅野の麺だからハズレはない。けれどやっぱり青竹打ち・・・何がどう違うということではなく、手打ちにすると食感が良くも悪くも「ムラ」ができる。太い麺(箇所)、細い麺(箇所)、だから同じ茹で時間だと当然硬い軟いという違いとなり、食べる時に異なる食感になる。それがイイ、という人もいる。ボクはま、どっちでもいいけどね。

 チャーシューは大判だがペラッである。2枚あるし、デフォ650円ならこれで良し。硬いのだが、それよりもカットの方法を考えて欲しい。バラのロールなんだが、半円状、である。できればカットせずに提供していただきたい。見た目も大事、ということ。

 でも、味玉付きで750円ならまずまず。というより、ホッとするような柔らかいテイストで、地元の方が普段使いにするならこういう店が流行るような気もする。ナイショの話は何だか分からなかったが、満足でした。ご馳走様。




 ・・・さて。今では青竹打ちの麺など、都内の店では滅多に見られなくなってしまったが、元々中国から伝わった製麺技術。明治四十四年創業(一説には明治四十三年)の町中華・淺草「來々軒」は、日本初のラーメン(専門)店でもなければ日本で初めての「店を構えた(屋台以外の)ラーメン店」でもなく、当時都内あちこちにあった大衆中華店に過ぎないが、以後の東京のラーメン界に相当影響を与えた店だ。そこの三代目の主人・尾崎一郎氏は『にっぽんラーメン物語』(*1)でこう話しておいでだ。「麺の材料は粉に卵に梘水。これをまず手でまとめていく。ある程度全体がまとまったところで青竹を使って伸ばすシナのやり方で仕上げていく。昭和五、六年あたりまでシナの手打ちでしたが(中略)全部が機械打ちになったのは昭和十年頃じゃあなかったと思いますよ」(原文ママ)。
 

 明治末期創業の店ですら昭和の初めには機械を使って製麺していたのだ。


 つまりは。佐野の青竹打ちラーメンは、今では大変貴重だということであるのだな。



 で、横浜のラー博によれば、淺草はすし屋横丁にあった「來々軒」の味を、今秋、再現するそうだ。公式サイトの「ニュースリリース」によれば、青竹打ち製麺もするという。ただ、そこにあるいくつかの記述、例えば

・『來々軒がオープンした当時、ラーメン店という業態は存在しませんでした』
・『横浜の南京町から中国人コック12人を引き連れて浅草の新畑町3番地に來々軒をオープン』
 
 これらは事実と異なる。來々軒の開業は、記録がある限り明治44年である。それは置いておいても、
 
・『(明治41年、平野という店が廃業したあと、浅草の)千束町の通りに、中華樓と言ふのが出來た。こゝは支那ソバ屋としての組織であったから、つまり此の意味に於ては淺草に於ける元祖である』『明治末期頃になると、松竹座の横町にあるシンポールと言ふ支那料理が出来た。(中略)シンポールと殆ど前後して出来たものに、來々軒と、其の眞向ふに現在大福屋の處にあつた支那料理屋である。こゝは支那料理と言ふよりも、支那ソバ屋と言った格の店であつた』(*2)。
 また、來々軒は、尾崎一郎氏の言葉を借りれば「支那の一品料理屋」だったし、事実、天津丼や中華丼なども提供していた、今でいう「町中華」であった。
 
・來々軒に中国人コック12人が在籍したのは創業から10年以上たった大正10年のことである(*3)。

 今年の春、ボクは淺草來々軒のことをブログに記した。今更なぜ蒸し返すかというと、來々軒のことだけでなく、東京のラーメンの歴史を改めてまとめようと考えていて、やはりおかしいと思う記述は訂正したいと思うからだ。時間はかかると思うが、脱稿したらまたお知らせしたいと思っている。そのときはぜひよろしくお願いしたい。


(*1)『にっぽんラーメン物語 中華ソバはいつどこで生まれたか(以下、『ラーメン物語』)』小菅桂子・著、駸々堂出版。1987年9月刊。
(*2)『淺草経済学』石角春之助・著、文人社。1933年6月刊。国立国会図書館デジタルコレクション。
(*3)『ラーメン物語』の中、來々軒初代・尾崎貫一氏が書き残した日記風ノートより。

投稿(更新) | コメント (13) | このお店へのレビュー: 1件

コメント

ナチュラルな手打ち(青竹)しか出せない風味ってありますよね。
私は、近年、七彩系にかなり通ってますが、やはりピロピロぶりが、日によって微妙に違うのも楽しいもので。

集大成期待しておりますよ!

どもです。
佐野ラーメンにも色々ありますからね
ぢっちゃんさんに合う奴あるかもですよ👍

佐野ラーメンの定義ですか。
透明なスープにピロピロ縮れ麺という印象です😅
でも色々あるんでしょうね。

NORTH | 2020年9月13日 18:28

こんばんは。
祝コメ有難うございました。
佐野ラーメンは経験少ないんで、
本場に食べに行きたいです。

kamepi- | 2020年9月13日 22:34

こんばんはぁ~♪
ブルさんの研修は日本のラーメン史に残るものだと思っています。
たのしみにか待っていますね(*^-^*)

mocopapa | 2020年9月13日 23:09

こんばんは🌙😃❗
新店舗攻め凄いですね。
これからもレポ期待してます❗

あひる会長 | 2020年9月14日 00:08

ぶるさん、
CPはかなりよいですが、仰るとおり佐野ラーメンを県外で謳うなら、それ相応の仕様にしてほしいものです。

まなけん | 2020年9月14日 05:13

おはようございます😃

そんなに混んでるんですか!
ナイショの話気になりますねえ(笑)
川口って結構な新店ラッシュですね。

としくん | 2020年9月14日 06:43

こんにちは。

なるほど。
650円を見たスーパーの買い物客でも混みそうですね。

研究の更なる集大成。楽しみにしています。

おゆ | 2020年9月14日 10:44

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さん、こんにちは。

そういえば自分も佐野ラーメン、しばらく食べてなかったですね。
川口にも佐野ラーメンのお店があるとは知らなかったです。
神奈川に佐野ラーメンの店あったかなあ・・・?

ぬこ@横浜 | 2020年9月14日 12:28

こんにちは。〉青竹打ちの麺など、都内の店では滅多に見られなくなってしまった   青竹打ちは見ているだけで、手間がかかる・技術力がいる・体力がいる。だからやる人は少ないのかな?製麺所と比べて味は変わるのかな?謎ですね。

いたのーじ | 2020年9月14日 12:47

青竹打ちと言えば、京成小岩と柴又の間にある三幸を思い出します。
塩さんも行ってますね。おいらもです。
おっしゃる通り、ムラが良いんですよね。手打ちならでは。

ラーメンやカレーみたいな国民食は、口伝や雑記が多くまとめるのも一苦労と思いますが、Blog楽しみにしておりますぜ。

Dr.KOTO | 2020年9月15日 22:54

おはようございます
ここのスタッフは豚の髭の店長さんになりました。
レビュワーさんですね。
青竹打ちの圧をかけたコシの強さ。
手打ちだけでは超え難いですよね。

あらチャン(おにぎり兄) | 2022年8月16日 06:04